山あいにある実家では空も狭い。その空全部が鰯雲で覆われることがあります。その雲がゆっくりゆっくり動いていく様子は圧巻です。雲が生きていて、その下に小さな小さな自分がいる。そんな感じです、、、。(2014年秋詠)
カテゴリー: 2014
要らぬこと言うてしまうて韮の花
ついつい、、、。反省、反省、、、。当分おとなしく、、、。と思った時の句、、、。(2014年夏詠)
落蝉の声出せばまた生き返り
これも西川緑道公園での句です、、、。蝉は死んでいると思って触ると、突然動き出して驚くことがありますね。それも、いかにもひどい目に合わされているような声を出して、、、。(2014年秋詠)
名前なき地蔵に乾く盆の花
岡山の西川緑道公園に小さなお地蔵さんがあります。説明書きが無いので、どんな由来のお地蔵さんか分かりませんが、いつも飲み物やお花が供えてあります。昨年の八月の句会、通りかかるとお花が萎れていました。お世話される方がお盆休みだったのかも知れませんね。で、こんな句になりましたが、今年のお盆には掃除も行き届き、鮮やかな色のお花が溢れていました。その時の句は来年の今頃に、、、。(2014年秋詠)
光年の距離を一夜に星の恋
七夕は過ぎちゃいましたが、夜空の綺麗な季節です。月齢も若いし、ペルセウス座流星群も見頃ではないでしょうか。掲句、そんな夜空を眺めていてふと気づいた時の句です。天体を立体的に捉えてみましたが、どうでしょうか、、、?(2014年秋詠)
上り切る蝉の高さの歩道橋
長い人生の中で日常的に歩道橋を渡る暮しはしたことが無かったのですが、今は岡山の句会へ行く度にやむを得ず歩道橋を渡ります。隣にある公園のポプラの、ちょうど蝉が鳴いている高さになります。歩道橋の中央で、下を走る車の群を見るのも面白いですが、これも長い間見ていると、ちょっと勘違いされそうな気がしますね、、、。(2014年秋詠)
秋暑し大魚の骨を犬が嗅ぎ
河原に釣人が残していった魚、持ち帰らないならどうしてリリースしてやらないのかと、私なんかは思うのです。外来魚でもなさそうだし、、、。まあそれでも、生命の連鎖で、残された魚は鴉や鳶が食べに来ます。残った骨もいずれ無くなるのは狐でも食べに来るのでしょう。運悪くその間に通りがかってしまった時の句、という事です、、、。犬も端から食べる気は無いようですが、食い尽くされて太陽に晒された骨はなんとも魅力的な匂いがするらしく、しきりに嗅いでいます。さしあたり漁師町で売っている一夜干しのようなものでしょうか、、、。(2014年秋詠)
手庇を回りこみたる秋暑かな
7月7日に書いた<手庇で行く片陰もなき通り>と同じ場所です。一ヶ月の経過の後秋となりました。相変わらず暑かった。掲句の通り、、、。(2014年秋詠)
威銃鳴りつつ雀太りつつ
「威銃ゥ、あんな物ぁ怖いこたぁありゃあせんで、ちょっと飛び上がって見せるだけじゃが」「せえでもなあ、ちいたあ効果がねえと、農家の人に気の毒じゃからなあ」とでも言いたげな雀の群が、威銃から少し離れた田圃に群れて姦しい、、、。(2014年秋詠)
墓石の梵字棲家の青蛙
掲句は昨年の墓掃除、梵字のところにちょうどすっぽりと入って心地よさそうな目をしていた青蛙です。水をかけても動こうとしない。さしあたり親父の額のあたり、、、。(2014年秋詠)