春炬燵何するでなく時流れ

いよいよ平昌オリンピック、細かいことは言わずに炬燵の中で何するでない時を過ごそう。見ているつもりがいつの間にか眠ってしまい、終わったあたりで目が覚めるのだろう。こんなことで良いのかご同輩、、、。(2017年春詠)

春泥をちらし轍の新しく

土手から河川敷への降り口、舗装が終わったところから春泥の道となる。何台も通るものだから次第に掘れて、水たまりが出来ている。そうすると今度はその水たまりを避けるようにして轍が出来る。この繰り返し、、、。(2017年春詠)

奔放に育ち空家の梅真白

「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」なんて言いますが、まさにそうだと思ったのがこの梅でした。空家になって何年になるのでしょう、伸び放題に伸びて自由に花をつけた梅のなんときれいなこと!掲句は昨年、県北で梅が咲くのはもう少し先になります、、、。(2017年春詠)

セールスと話してをれば「あ、梅が!」

我が家の門のところから隣家の梅の木が見えます。面倒なのでセールスの方とは出来るだけ門の所で対応するようにしているのですが、この日もそうやって話していた私の目の先のその木に二、三輪の梅の花、思わず声が出てしまいました。「えっ?」「ほら、あそこ!」、何だか本気で聞いていないのが分かったみたいでその後は、、、。(2017年春詠)

娘が吹いて母が追ひかけ石鹸玉

分譲地に新しく建った家の前で、お母さんと女の子がシャボン玉で遊んでいました。よくある景ですが、違うのは追っかけているのがお母さんな事。きっと成長しても姉妹のような母娘になるんだろうと思いました、、、。(2016年夏詠)

行く春の指先欠けし阿弥陀仏

とある寺の、薄暗いお堂の中の阿弥陀仏、よく見ると上げた右手の木製の人差し指の先が小さく欠けている。お寺も、お堂も、仏様も古い。空家の目立つ村の寺では、なかなか修復ともいかないのだろう。お顔のやさしさが心にしみる、、、。(2016年春詠)