一息に燕越え行く杜の空

見事!青空の下で高い所を一息に越えて行く燕は見ていて気持ちが良い。飽かず眺められる。掲句は倉敷阿智神社、都会であれば杜がビルに変わり、同じような飛翔が見られるのだろうと、田舎暮らしの私は想像してみるのです、、、。(2018年春詠)

すぢかひに燕掠める路地の空

今年の初燕は3月13日の午後でした。例年より十日ぐらい早い勘定になります。聞き覚えのある声に見上げると、曇り空の高い所に確かに燕の形、、、。掲句は古い燕の句です。掲句のように路地を掠めるのはまだ先ですね、、、。(2003年春詠)

確かむる風の方角初つばめ

帰る鳥もあれば来る鳥もある。去年の俳句手帖を見ると、三月二十七日に初燕の記録がある。昔より早くなっているような気がするが、俳句を始めるまでは初燕なんて意識したことは無かったのだから、何とも言えないことではある、、、。(2011年春詠)

駅燕あまたの別れ見て育つ

また燕の句です、、、。これは津山駅の燕、久しぶりに早朝の駅頭に立ったときに、見下ろしていた子燕を見て詠んだ句です。この子燕たちは毎日沢山の人を見ているけれど、その中には出会いも別れもあるだろうなあ。出会いと別れのどちらが多いのだろう?別れのほうが駅には似合うかなあ。と、そんな事を考えているうちに、乗車の時刻になりました、、、。(2012年夏詠)

二階より望む燕のかよひ道

二階に限ったことではないが、高い所から眺める景色には心惹かれるものがある。二階より三階、三階より屋上と、高くなるたびに新しい景色が広がる。屋上まで来ると、それ以上は無理なので、翼が欲しいと思うようになる。叶わぬ夢、、、。掲句、我家の二階から眺めた燕の風景、虫を捕らえる時は自由に飛びまわっている燕も、それを巣に運ぶときは同じコースを通るようだ。空に道があるように、、、。(2011年春詠)