鬼灯の葉の衰へが実の色に

何年も前に古くなった鬼灯の実を埋めて置いたら、ほとんど雨がかからない場所にも関わらず、それから毎年芽を出しいくつかの実をつける。場所のせいもあるがこの時期になると葉はほとんどよれよれの状態、それでも実だけは多少衰えの見えるものの袋も中の実も外形を保って、立派に色を付ける、、、。(2017年秋詠)

くくられて千屈萩色を忘れゆく

大師堂脇にある一叢の千屈萩(みそはぎ)、側を流れる用水路に水漬くほどになり荷紐で括られている。淡紅紫色の花はお盆の大師堂によく似合う。お盆を過ぎれば、当然のように衰えて色を失って行く、、、。(2017年秋詠)

とんぼうの影透き通る日差かな

先日墓掃除に帰省して、空家だからしょうがないかと庭を眺めているとオニヤンマが一匹スーッと飛んできた。何だか見慣れないやつが来たぞと言わんばかりに暫くこちらを観察した後にまたどこかへ去って行った。何だかうれしくなった、、、。(2017年秋詠)

緩やかに風の撫で行く稲の花

故郷まで2時間ばかりの帰省だが、その間でも田圃の状態にはずいぶん差がある。早いところではもうすっかり色づいて稲刈を待っているような所もある。昔父が生きていた頃には、帰省する度にどの辺りの田圃がどうかとよく質問してきたものだ。春には田植を秋には稲刈を。その頃からの癖で今でも田圃を観察しながら車を走らせるが、もし父が生きているとすればさしずめ、ずいぶん休耕田が増えたね、と報告するところだろう、、、。(2017年秋詠)

その後の思考続かず秋暑し

今日は田舎へ墓掃除に行ってきます。毎年の事ですが暑いんです。もうこれぐらいで勘弁してもらおう、と毎年適当なところで止めてしまいます。お墓の中では、おいおいもうお仕舞かと思っているか、暑いから無理はせんでもええよと思っているか、きっと後者のほうだと、これも勝手にそう思って、、、。(2017年秋詠)

八月のいきなり鵙の鳴く日かな

八月になると鵙の甲高い威嚇するような声が聞こえるようになる。それもいきなり、散歩の途中の二階建ての家の一番高いテレビアンテナの上から降ってくる。あの声を聞くと秋が来た事を感じる。実際はまだ八月で、昼間は相変わらずのうだるような暑さにまいっているのだが、、、。(2017年秋詠)