諭しつつ犬の草の実取りにけり

立秋です。立秋にふさわしい句にしたほうが良いのですが、一度は書かなければならないのでこの一句に。夏が越せずに私の相棒、愛犬もみじが7月31日夜9時30分に亡くなりました。覚悟はしていたつもりですが、一週間たった今も悲しみは消えることなく、何となく日々を過ごしています。とは言え、今日からは秋、そろそろ心を切り替えなければなりません。このブログも犬が居なければ成立しないのですが、もう少し続けようと思っています。一緒に歩いた所も一人で歩けば、また違った景が見えるかも知れませんから、、、。(2018年秋詠)

かなかなや内より暮るる杉木立

蜩の声が聞こえ始めました。夕方に聞き、次の日の朝に聞き、やっと涼しくなるのかと思ったら次の日には聞こえなくなりました。しばらくは猛暑のようですね。みなさんご自愛ください、、、。(2018年夏詠)

七夕の短冊書けば昔日に

歳時記では旧暦の七月七日を七夕として秋の項に入っていますが、今は新暦の七月七日だったり、月遅れの八月七日だったりと様々ですね。3回もあれば織姫彦星の出会いの確立も上がって良いかも知れません。掲句は昨年、「むかし下津井廻船問屋」のイベントにて何十年ぶりかに書かせてもらった七夕の短冊、願いはもちろん、、、。(2018年夏詠)

切目なく銀杏黄葉の降る日かな

銀杏は木によって黄葉にも落葉にもずいぶん差があります。先日誕生寺まで見に行きましたが、法然上人の植えたという大銀杏はまだ沢山の銀杏をつけて落葉が始まったばかり、その傍の若い銀杏は黄葉の盛り、少し離れた大仏の傍の銀杏はすでに落葉を終えていました。同じ寺域にあるのに三者三様、面白いものです、、、。(2017年冬詠)

銀杏散る下に佇む小ささよ

近所にあった廃屋の裏に大きな銀杏の木がありました。この地に住みだした頃にはまだ若木でしたが三十年経って立派な大木になっていました。それが今年は廃屋の解体と一緒に切られてしまって、ちょっと寂しい空になってしまいました、、、。(2017年冬詠)

孤独なる猫の寝てをり文化の日

昨年の夏から今年の正月まで居候していた野良猫、正月が明けるとふらっと出て行ってそれっきり、どこでどうしているのやら、、、。人間につかず離れずの野良猫は昼間はいつも孤独そうに寝ていた。今我が家にはまた新しい野良猫が、、、。(2017年秋詠)

柿熟るる八十八番大師堂

街中の路地を入ると突然立派な佇まいの古い大師堂、八十八番と書いてある。いったい全国にいくつの霊場があるのだろうと思うぐらいに、どこに行っても大師堂に行きあたるが、八十八番に出会ったのは初めてだった。ここが最後かラッキーと思ったが、では一番から八十七番はというと、全く分からない、、、。(2017年秋詠)