銀杏黄葉古刹と言ふにふさはしく

銀杏の黄葉は木によってずいぶん差があるように思います。と前置きして、銀杏黄葉は秋の季語ですがこの句を。昨年の倉敷観龍寺での句です。県北那岐山の麓の菩提寺にある大銀杏はそろそろ見ごろとか、、、。(2021年冬詠)

切目なく銀杏黄葉の降る日かな

銀杏は木によって黄葉にも落葉にもずいぶん差があります。先日誕生寺まで見に行きましたが、法然上人の植えたという大銀杏はまだ沢山の銀杏をつけて落葉が始まったばかり、その傍の若い銀杏は黄葉の盛り、少し離れた大仏の傍の銀杏はすでに落葉を終えていました。同じ寺域にあるのに三者三様、面白いものです、、、。(2017年冬詠)

人小さく銀杏黄葉の下を掃く

我家から少し走ったところに国道が交わる交差点があります。その傍のお宅に大きな銀杏の木があり、落葉の季節に信号待ちをすると、交差点に舞散る黄葉が見えます。信号の変わり際の一瞬だけ車が途絶えた空間に、空から銀杏の黄葉が降って来る。絶景です。短時間ゆえの儚さが美しさを増幅させるのでしょう。その道が今拡幅工事の真っ最中です。この銀杏もやがて切られる運命なのだろうと、先日その交差点で止まった時にふと思いました。落葉にはまだ少し早い時季でした。掲句は徒歩通勤の途中の作楽神社で見かけた風景。銀杏の大木が何本もあります。これもまた絶景です。(2009年秋詠)