蕗始末古新聞を濡らしつつ

さて、今回のシリーズの終りは、草刈前に採っておいた蕗の始末です、、、。植えたわけではありませんが土手では蕗が採れます。蕗は我家の貴重な食材です。季節感があって美味しいですね。もちろん、採るのも始末するのも私の仕事です。玄関脇に腰を下ろし、新聞紙を広げて、指先を染めながら、、、。サラリーマン時代は、爪のあたりに色を残したままのこの指で、仕事に行ったものでした、、、。<俄仕事-7>(2012年春詠)

街宣の音が遠くに昭和の日

こんな句を詠んでいるので草刈をしたのは4月29日です。街宣車の走る国道と我家は距離にして二十メートルぐらいですが、間に田圃と草刈をしている土手があります。街宣車から流れる軍歌もそう大きくは聞こえません。勇ましい軍歌が懐かしく感じられる程度、と言えば良いでしょうか。まさに、昭和も遠くなりにけり、です、、、。<俄仕事-5>(2012年春詠)

熊蜂の見に来る俄仕事ぶり

蜻蛉と同じで蜂もまた好奇心の旺盛な昆虫と思う。蜻蛉が寄ってくるのはどうって事ないが蜂は困る。雀蜂なんてとんでもない。子どものとき、冬の庭に落ちている雀蜂を、死んでいるものと思って触り、痛い目にあったことがある。熊蜂はずんぐりむっくりした体型で、体は大きいがおとなしい好奇心旺盛な蜂。庭仕事をしているとよく寄ってくる。あえて刺激しなければしばらくすれば飛んでいく。刺された記憶はない、、、。<俄仕事-4>(2012年春詠)

鬼薊切られて白き汁たらす

大きく大きくなって、花も薊に似ているが大雑把。すっくと立った茎は水分が多く、やわらかくて切り安い。切ると白い汁が出る。う~ん、薊ではなさそう。ということで鬼薊にしてしまった。違っていたらごめんなさい、、、。<俄仕事-3>(2012年春詠)

鎌研げば蛙鳴きだす草の中

ちょうど去年の今頃まとめて詠んだ句から少し書きます。無職となって三ヵ月、思い立って家の裏の草刈をしたときの句です。当時の生活ぶりを詠もうとしたのですが、一年経って冷静に見直すと残らないものですね、、、。まずは鎌を研ぐところからです。もう十年以上使っている手に馴染んだ鎌です。買ったときには高かった、、、。<俄仕事-1>(2012年春詠)

花吹雪カメラ出す間のなかりけり

4月19日の日付があるので去年は花が遅かったのだろう。後輩が一緒にと言うので、連れ立って鶴山公園に上がった。よく喋るとは思っていたが本当によく喋る男で、ひっきりなしに話しかけて来る。花には全く興味がないようだった。私は適当に相槌を打ちながら、心は花の方を向いている。とうとう備中櫓のところまで上った時に強い風が吹き、散り残っていた桜が花吹雪となって舞い上がった。あ、あ、あ、と声にならない声を上げて、ポケットの携帯に手をやったがすでに遅く、花吹雪は石崖を越えて落ちていった、、、。後輩の目に花吹雪は入らなかったようで、彼はその間もひっきりなしに話し続けていた、、、。(2012年春詠)

行春の潮目に白き波頭

ほど良い海風に吹かれ、鷲羽山の展望台からの眺めはすばらしかった。そして下りの、転げ落ちそうな道から眺めた海の色も。色が異なるのは、あれが潮目というものかと、山の中に住んでいる私は勝手に想像したのでした、、、。(2012年春詠)

白蝶の花弁のごとく動かざる

暑くなったり寒くなったり、それがやがて暑くなったり暑くなったりになるのですが、まだ寒さの残る朝の草に白蝶がとまっていました。全く動かないので、遠目には白い花と見えたのですが、なんの花かと近寄ってよく見ると蝶でした。そうだよなあ、こんなところに白い花が咲くはずが無い、と納得、視力の衰え、、、。(2011年春詠)