我家では犬も猫も人間も叱られるのは一緒です。そんな事を言っても犬や猫には分からないだろうと思うのですが、犬も猫も逃げ出しもせずに、それらしい顔で聞いています。まあ、ひたすら耐えて、台風が通り過ぎるのを待つより他がない事は、教えたわけではありませんが、私と一緒ですから。(2000年秋詠)
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北向の窓の明るさ柿熟るる
我家の裏には二階ぐらいの高さでJRの土手があり、姫新線が走っています。国鉄時代と違い、JRになってからは殆ど手入れをされることが無く、放って置けば茂った草や木が我家まで迫って来ます。仕方が無いので私が草刈をします。その代わり土手の斜面は、我家の庭の一部になっています。花もありますが、柿、無花果、枇杷、ポポと果実の生る木もたくさん植えてあります。何と言っても古いのは柿で、借家住まいの頃に育てていた木を移植しました。ですから三十年以上の古木ということになります。少ない年もありますが、それでも毎年実をつけてくれる、働き者です。(2000年秋詠)
湯の宿の莚に干され唐辛子
我家から奥津温泉までは車で三十分ほどで行けます。途中に大きな苫田ダムのダム湖があります。ダム湖を見て一休み、それから国道をそれて奥津渓に入って行きます。どちらもこれからが良い季節です。奥津では近年町おこしに各種唐辛子製品が売られています。ドレッシング、一味、醤油、もちろん唐辛子そのものも。そんな訳でこんな風景に出会ったのですが、莚の上で秋日を受ける唐辛子は普段にも増して真っ赤に見えました。(2012年秋詠)
水脈引いて川渡りきる秋の蛇
夕暮れ時に川べりを散歩をしていると、何かが川面をこちらに向かってくるらしい水脈が見えました。普通ならその先端に水鳥の姿があるのですが、それが無い。よくよく見ると、少しだけ頭をもたげた蛇が泳いでくるのです。川幅の狭い浅瀬なら何度も見たことがありますが、吉井川の堰の上流で、十分な川幅の場所を泳いで渡る蛇なんて、初めて見ました。ついつい渡りきるまで見てしまいました。渡りきると蛇は躊躇なく傍の草むらに紛れてしまいました。(2012年秋詠)
月光を入れて寝る癖むかしより
雨戸もカーテンも、出来るだけ開けて眠ります。理由は朝起きた時に、光の量でだいたいの時間がわかることです。おまけが月光です。月齢、季節、天候と、この三つが揃うことは一年を通してもそうたくさんはありませんが、揃うと素敵な眠りのひと時が得られます。時々は夜中に月光を感じて目覚めることがあります。これも気持ちの良いものです。朝の光と違い、またいつの間にか眠ってしまいます。月光は眠りを、日光は目覚めを誘う光と言えるかも知れませんね。(2011年秋詠)
秋を来て会釈一つですれ違ふ
知らない土地で、知らない人に出会うと、何となくこんな挨拶になりませんか。公園を一人で吟行しているような秋の日はなおさらです。(2010年秋詠)
少年のことごとく打つ曼珠沙華
初心の頃の作。徒歩通勤の途中の畦道に咲いていた彼岸花が、ある朝ことごとく折られその場に散乱していた。少年の頃の自分も同じようなことをした記憶がある。すっと立った彼岸花は折れやすく、折れると少し苦いような匂いがした。少年のストレス解消には絶好の材料だった。大人からは毒があるから触るなと言われ、墓地に多く咲く花に、けっして良いイメージなど持てなかった。そんな彼岸花を美しく思えるようになったのは俳句を始めてからのことだ。(1998年秋詠)
灯を落し生家まつくら虫時雨
ひと通り片付けを済ませ、生家を出ようとした時はもう夜中だった。「先に出てよ」と兄弟たちを外に出し、順番に灯を落していく。「いい?消すよ」声をかけて玄関の灯を落すと、途端に真っ暗闇になった。手探りで玄関に鍵をかけ、「お疲れ様」と兄弟たちを送る。順番に車が発車してしまうと、一人虫時雨の闇の中に取り残されてしまった。周囲に家が無いわけではないが、人の居ない家はほんとうに暗い。車まで、また手探りで虫時雨の中を歩いた。(2011年秋詠)
秋風や石灰岩は骨の色
井倉洞吟行<その8>句会の後はしばらく風景を堪能、その後駅まで皆さんをお送りして解散となりました。私はついでに「絹掛の滝」に寄り、お不動様にお参りして帰りました。帰りは方谷から北房へ山道を抜けましたが、山の中の田圃は稲刈りの真っ最中でした。これで井倉洞吟行は終わりです。お付き合いありがとうございました。-終わり-(2012年秋詠)