生るるごと洞より出でし秋の昼

井倉洞吟行<その6>さて、入洞組三人は一つでも多く句材を拾おうと、足も遅く(運動不足もありますが)、広場があれば忘れないうちにと手帳を広げたりするものですから、結局吟行の一時間を洞の中で過ごしてしまいました。先生が足を滑らせるという危ない場面もありましたが、事無きを得、無事に地球の胎内から生還したのはちょうどお昼でした。橋の上から眺めた高梁川の河岸に彼岸花が数本咲き始めていました。-続く-(2012年秋詠)

洞穴に入りて恋しき秋暑かな

井倉洞吟行<その4>井倉駅で先生、美女三人と合流、再び井倉洞まで歩きました。井倉洞では先に昼食と句会の席を予約した後、入洞組と残留組に分かれての吟行となりました。私は入洞組で、久しぶりに地底の冷気を体感しました。予想はしていましたが、Tシャツ一枚の身体には十分な寒さで、外の暑さが恋しく感じられました。-続く-(2012年秋詠)

秋雲や確かに地球まはりけり

井倉洞吟行<その3>草間台地から県道を井倉洞近くまで下りると、途端に峡谷らしい風景になります。切り立った石灰岩の岩肌の裾を、洗うようにカーブして高梁川が流れ、ちょうどそのカーブしたあたりに井倉洞の入口があります。駐車場に車を置き、集合場所の井倉駅まで歩きました。昔から賑やかな町ではありませんでしたが、いっそう寂れたような印象を受けました。駅前の色褪せた「歓迎」のアーチの下で、山上を流れて行く雲を見上げていると、こんな句が出来ました。-続く-(2012年秋詠)

天高し四方が山の底に立ち

井倉洞吟行<その2>駐車場の近辺にはまったく人影が無く、やめたほうが良いかなと思いましたが、案内板に300mと書いてあるので意を決して行ってみることにしました。行き着いたところにあったのが写真の洞門です。かつての鍾乳洞が崩落し、一部が残った物だそうです。山の底です。「天高し」などと詠んでいますが、怪しい物音はするし、何かあったら帰れないなと、内心はヒヤヒヤしていました。これが第一洞門、案内板によると第四まであるようです。もう一度、今度はしっかり準備をして行って見たいところです。「羅生門」についてはネットで出てきますので検索してみてください。-続く-(2012年秋詠)

青栗の毬より他に遇はぬ道

井倉洞吟行・・・9月9日「合歓の会」の吟行で井倉洞へ行きました。そのときの句をまとめて・・・ <その1>津山から井倉洞へは、中国道を北房まで走り、北房から草間台のカルスト台地を抜けました。鍾乳洞の多いところです。途中で「羅生門」という大きな看板を見つけ、予備知識なしで寄道をしてみました。看板から畑沿いの道を少し行くと、今度は小さな看板で横道へ矢印、いきなり細い林道に入ってしまいました。対向車があったらどうしようと思いながら走りましたが、心配は無用、駐車場へ着くまでに出会ったのは、道の中央に落ちていた青栗の毬一つだけでした。もちろん、駐車場にも人の気配は全くありませんでした。-続く-(2012年秋詠)

秋茄子回覧板と届きけり

だいたい月一回の割合で回覧板が回ってくる。重要なお知らせは個別に配布されるので、たいていが他愛もない内容で、福祉団体の販売する雑貨品のカタログであったり、駐在さんの手作りの新聞であったりする。途中で止まることも多く、開催日を見れば既に過去のイベントのチラシが回ってくることも、、、。時にはレジ袋に入れた茄子が門扉にくくりつけてあることも、、、。(2001年秋詠)

秋霖や仕舞ひ忘れし庭箒

通り過ぎていく車の音に何となく雨を感じて目が覚めた。起き出すと案の定雨だった。音もない雨が降り続いている。今日が雨なら昨日のうちに、もう少し庭の手入れをしておけばよかったと、天気予報を見逃したことを後悔しながら、新聞を取りに外へ出る。庭に目をやると、昨日仕舞い忘れた箒がぽつんと濡れていた。(2000年秋詠)

車まで母の差す傘秋時雨

実家を出ようとすると雨が降っていた。車までは十メートルほど、濡れてもたいしたことはない距離だったが、母の出してきた傘に、半分ほどはみ出しながら入れてもらった。まだ母は元気だった。父も母も家を出る時は必ず見送ってくれた。見送ってくれる笑顔の奥に寂しさが見えて、こちらまで寂しくなるのだった。今は自分がその立場になって子どもたちを送っているが、子どもたちには同じように見えているのだろうか。早めだが今日は母の一周忌。(2001年秋詠)

八朔や手焼きの皿に指の跡

焼物に詳しい訳ではありませんが、見るのは好きです。本当は欲しいのですが、良い物はそれなりの値段がしますので、見るだけになります。名古屋の親戚に寄った時、毎年行くという瀬戸物祭の話になって、いろいろ見せてもらっているうちに一枚だけ気に入って、貰ってしまいました。名のある焼物ではないのですが、くっきりと指の跡のある皿です。(2000年秋詠)

朝まだき猫が爪研ぐ稲架の杭

この辺りで稲架を目にすることは無くなってしまったが、作句した2001年当時は、まだそこここに稲架が見られた。ある時は朝日の光の中に、ある時は朝霧の中に、一段だけの低い稲架が、何列も静かに並んでいる風景が懐かしい。そんな中で、見ればすぐ我家の猫と分かったが、田圃を横切っての朝帰りの途中、その稲架の杭でゆっくりと爪を研ぎだした。何とも満足げな姿に見えた。(2001年秋詠)