静けさや帰燕の後の無人駅

ちょっと寄道をして、津山線の無人駅に寄った時の句。夏にも寄った。その時は、どこの駅もそうだが、燕の巣があり、親燕が戻ってくる度に餌をねだる雛たちの声が賑やかだった。掃除をされる方の、何とか燕に出て行ってもらいたいという努力の跡が見られたが、負けてはいられない燕のほうが強かったようで、雛の数×巣の数=声の数で賑わっていた。それが、晩秋に寄ったこの時は、まるで音が無いのだった、、、。(2013年秋詠)

紅葉づるや天使の像にからむ蔦

蔦は四季それぞれに風情があって嫌いではありませんが、自分で育てると不都合な事があります。その一番はくっついた所に根を張ることです。安普請のマイホームの壁に這わせて苦労したことがあります。美観地区のアイビースクエアやエルグレコの喫茶店のように、それがシンボルとなれば話は別ですが、ちょっと壁に蔦をという一時的な興味で手を出すのは止めましょう。掲句はそんな複雑な心で詠んだ句です、、、。(2014年秋詠)

金風や梁に逆さの千社札

ついでに古い句です。千社札、貼るところを実際に見てみたいと思うのですが、いまだに行き当たったことがありません。長い竿の先で、糊をつけた札を器用に操って貼るのでしょう。目立つようで目立たない、古くなって柱や梁と同化したような千社札を見ると、いつごろの物なのだろうと想像が膨らみます。そんな中にある日、真新しい札が増えている!それも逆さまに、、、。(2001年秋詠)

明るさに音たてて干す小豆かな

これも古い句です。帰省すると庭で母が小豆を干していた。広げたシートの上で笊にまだ収穫したばかりの小豆を入れ、手でかき混ぜては混じっている葉っぱやごみを取り除いている。山間にある実家は朝日が差すのは遅いし日暮は早い。特にこれからの季節は朝は霧に覆われることが多く、朝から日差のある日は貴重になってくる。小豆も母もそんな日差を満喫しているようだった、、、。(2001年秋詠)

身に入むや犬のため掘る墓の穴

2001年の日付があるから、我が家の初代のプードルが亡くなった時の句です。その孫が今の我が家の長老、最近目も耳も少し悪くなったようで、声をかけても気づかないことが多い。私と一緒で、実は聴こえないふりをしているだけかも知れない。年寄の特権、、、。(2001年秋詠)

行く秋の日差を部屋に溢らしむ

朝起きると雨戸、カーテン、ブラインドと、とにかく日差が入るところは開けて置く。太陽が上り日差が入ってくると、それだけで少しの間は穏やかな気分になれる。とは言うものの、太陽の動きは思いの他速く、あれよあれよという間に日の当たる範囲が狭まっていくのです。中途半端な寒さの間の朝の楽しみです。もう11月、暖房を入れればそれで済むことなんですが、、、。(2014年秋詠)

小さきが小さき羽音小鳥来る

好きな鳥の一つに柄長(エナガ)があります。集団でやって来ます。雀よりも小さい、黒と白のモノトーンの鳥です。歳時記では夏に分類されていますが、秋や冬にもやって来ます。むしろ秋や冬のほうが、葉を落した木々を移る姿に存在感があります。チッチチッチチッチといつ聞いても楽しそうに鳴き交わしながら木から木へ移って行きます。人懐っこいと言うほどではありませんが、比較的近くまで来て平気のようです。もちろん小さいぶんだけ羽音も小さい、、、。(2014年秋詠)

秋深し郵便局長幟出す

早いですね、昨日が年賀状の発売日だったようです、、、。昨年の晩秋のある朝、田舎の小さな郵便局の前を通りかかったら、局長さんらしい男性が赤い「年賀状」と書いた幟を出していた。霧が晴れてきて少し日差が見え出した朝の郵便局の前で、白シャツにネクタイ姿で幟を出しているその動作が、いかにも毎日の業務として板に付いているように見えて、少し可笑しくもあった、、、。(2014年秋詠)

ねつとりと絡みて秋の蝸牛

昨日柿の木の下で、カタツムリの交尾を見た。と言っても伸ばした首をお互いに絡ませているだけで、動きがある訳ではない。口のあたりが泡に包まれているのが普通と違うところぐらい。カタツムリは雌雄同体で、その時その時で雌雄が決まると何かの本で読んだ事がある。どっちがどっちなんだろうと思ったが同じように見える。カタツムリの交尾自体めったに見えるものではない珍しい事と思い、写真でも撮ろうかと思ったが、思っただけで忘れて、PCに向って今日の句を探していたら、2013年にこんな句を詠んでいた。あれっつ?見たことも忘れているぞ、、、。(2013年秋詠)

晩秋の絵画展出でまぶしき日

先日美観地区を吟行していて、公民館に水彩画展の看板を見つけて入ってみました。絵画教室の作品展で、生徒の作品と数点の講師の作品を展示した小さな展覧会です。おなじような静物の作品が、おなじように配置して展示されているのですが、中にところどころちょっと目に付く作品があって、近寄って見ると作者名が「講師○○○子」と同じ講師名になっているのです。やっぱり講師は講師なんだと感心して、ちょっと長居をして見てしまいました、、、。(2014年秋詠)