木霊には木霊が応へ時鳥

六月です。向こうの山でホトトギスが鳴いています。昨年より多いような気がしています。散歩の途中で耳を澄ますと、鳴く声と、それが木霊した声と、その木霊がまた木霊した声と、何がなんだかわからなくなった時の昨年の句です、、、。(2017年夏詠)

峠まで来て初鳴きの時鳥

昨年の6月9日の日付があります。今年は5月31日、散歩途中での初鳴きでした。比較的近くで大きな声が吉井川の向こうの山から聞こえていました。その後も時々聞こえますが、だんだんと山奥に入っているように感じます。川沿いにやって来て、しだいに山奥へ入るような渡りのコースがあるのかも知れません。それにしても、数がずいぶん減りました。寂しいですね。昔、学生寮の窓から見た、鳴きながら月夜の空を飛ぶ時鳥の姿が忘れられません、、、。(2016年夏詠)

近づくと見せて遠くへ時鳥

これも本山寺での句です。この時季の鳥は何と言ってもホトトギスです。木から木へ移っては鳴き、移っては鳴き、なかなか近くへは来ませんが、それでもじっと待っていると時には頭上を越えていく姿が見えることも、、、。(2014年夏詠)

現とも夢とも明けの時鳥

年に何度かこんな朝があります。夢の底でホトトギスの声がする。「あぁ、ホトトギスだ」と思いながら目を開けると外はまだ白みかけたばかり、そのまままた眠りに落ちていきます。次に起してくれるのは雀の声、この時には外はもう完全に明るくなっています。この気持ちよい時間、いったいどれくらいの時間が経過しているのでしょう。長いようでもありますが、実は短い時間での出来事なのかも知れません、、、。(2014年夏詠)

時鳥たちまち遠き声となる

私が過ごした学生寮は小高い丘を切り開いた林の中にあった。夏になるとうるさいぐらいに時鳥が鳴き交し、お盆を過ぎると波のように蜩の声が押し寄せた。とある夏の夜、疲れた眼を癒そうと窓を開けた時、赤っぽい夏の月に向かって鳴きながら飛んで行く時鳥の姿が見えた。こんな事ってホントにあるんだと、ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れるの歌を思い出した。今でも夜に時鳥の声を聞くと、時々この時のことを思う。(2011年夏詠)