市の列捌く男の木の葉髪

冬だから髪が抜け易いと言う事は無いけれど、木の葉髪は冬に分類されている。掲句は昨年の古書市での句。無料とあって、開始30分前には会場の前に行列が出来て、職員が列を捌いている。その髪のなんと心もとない事。横のほうの薄く残った髪を反対側まで被せてある。一生懸命動くものだから、その度に髪がふわりと浮き上がる。あまり動くと抜けるよ、と失礼とは思いつつ、開始まで時間があったものだから、ついつい見てしまった。ごめんなさい、、、。(2014年冬詠)

夜神楽の裸電球ゆれ止まず

古い句です。昔、実家の祭りが11月18、19日だったのを思い出して、引っ張り出してきました。今は祭りと言えば休日に合わせて行われますが、昔は固定された日でしたね。それが実家のある地域では11月18、19日でした。18日が宵祭り、神社の拝殿を舞台に、夜遅くまで備中神楽が奉納されました。もう十分に寒い季節で、着込んで行っても寒く、境内で焚かれる大焚火で温まっては拝殿に戻ったものです、、、。(2000年冬詠)

ゲートボール人来るまでの焚火かな

霧深い朝、河川敷にあるゲートボール場の傍で、赤々と燃える大焚き火。数人のお年よりが焚き火を囲んで談笑をしている。さらに次々とお年よりがやってくる。しばらく見なかったが、まだゲートボールは続いていたのか、と思った昨年の句。今朝、遠くから煙が見えて、同じような時季なので、ゲートボールだと思いながら近づいたら、中年の女性が一人焚き火の傍で体操をしていた。他に人は無し。どうやら単なる反故焚きの人のようだった、、、。(2014年冬詠)

白菜を立てて並べて道の駅

一つ一つ白いレジ袋に入れられた大きな白菜が、道の駅の広いスペースに立てて並べてあった。確かにこのほうが新鮮さは保たれそうだ。スペースが限られる街のスーパーではこうは行かないだろうと思った。ひと目見てどれも新鮮で大きさも揃っていたが、それでも買う人は身を乗り出すようにして、目星を付けた物を袋ごとエイヤッと引き抜くのだった、、、。(2014年秋詠)

軒下の日差集めて冬すみれ

掲句は昨日と同じ、岡山野田屋町界隈での句。高い建物が増えてくる中で、皆さん工夫して植物を育てられている。道路から少し下がったビルの白い壁に反射した日差が当たるところに、立体的に配置されたプランター、ちょうど水を貰ったばかりの花が輝いていた。あ、冬すみれとしていますが、実は栽培種のスミレ、色鮮やかなパンジーです、、、。(2014年冬詠)

花八手昭和名残の木の引戸

岡山野田屋町あたりで見つけたお宅、路地と路地の入り組んだ街の角に、取り残されたように佇んでいた。玄関脇の植え込みに、八手が白い花をつけ初冬の日差を浴びていた。柱に小さな郵便受を取り付けた、庇の短いこじんまりとした玄関には、今時珍しい木の引戸が付いていた。周囲には近代的な住宅が立ち並ぶ中で、そこだけが昭和の時代だった。まるで、西岸良平の漫画に出てくるような家、、、。(2014年冬詠)

老釣師ゐねむることも小六月

例の老釣師、今年は元気で、11月に入ってから連日のように川向こうに姿がある。残念ながら川向こうなので声もかけられず、岩のように動かないその姿に遠くから会釈だけして通り過ぎる。狙いはもちろん大鯉だろう。昨年は「鯉は11月に入ってから」と言いながら、11月に入るとさっぱり姿を見る事がなくなり、心配しながらの掲句になってしまったのだった、、、。(2014年冬詠)

獣道烏瓜にて行き止る

整備された河川敷公園と吉井川の岸辺との間にさらに茂みがあり、草や木が茂っています。もちろん公園が出来た時にはここもきれいだったのですが、どんどん木や草が大きくなり、今では人間が踏み込むには茂りすぎた状態です。そんな所にある日突然出来た獣道、水辺までちょうどトンネルのような感じで草を分けて続いている。その向こうに水面と、上の木の枝からさがった熟れた烏瓜が見える。たぶんヌートリアの専用道路でしょう、、、。(2014年秋詠)

かいつぶり水の中にもある日暮

散歩コースの吉井川にも鴨が増えてきました。河川敷の公園に上がって集団で休んでいたりしますが、まだ警戒心が強いようです。土手の上の道を通っているので距離はずいぶんあるのですが、いつでも飛びたてるように全員が水面のほうを向いて、こちらが通り過ぎるのを待っています。もちろん、できるだけ刺激しないように知らん顔でいるのですが、、、。掲句はカイツブリ、鴨よりも小型でよく潜ります。鴨は草食ですがカイツブリは肉食の鳥です。水の中で餌を追いかけている姿を想像していたら、ふと日暮を想ってしまいました、、、。(2014年冬詠)