春雪や汽笛短き朝の汽車

さすがにもう降ることはないだろうとは思うのですが、天気予報では週明けからまた寒くなるそうなので、今年のお別れに春雪の句を書いて予約しておきます(3月18日)。当たるも天気予報、当たらぬも天気予報、、、。(2014年春詠)

秋に見し絵描またゐる山笑ふ

国道313号線の多和山トンネルを抜けて高梁側に下りると、吉備高原の端になるのだろう、急に切り立った山が迫って来る。やっと帰ってきたと故郷を意識するのがこの辺りで、春夏秋冬絵になる風景を見せてくれる。前年の秋に道端でその山に向かって絵を描いている初老の方を見かけ、一旦車を止めたが、邪魔をしてはと思い直してその場を後にしたことがあった。山に向かって絵を描く男のいるその風景がまた一枚の絵のようで心に残った。で、そんな事は忘れて次の春に通りかかったのだが、また同じ所で同じ方が、、、。(2014年春詠)

雲の影大きく舐めて春の山

これは吉備路、足守から総社へ裏道を走りながら見た鬼ノ城の辺りを動いていく大きな雲の影。山もゆったりとした山容を見せている。県北の中国山地の山並や、高梁あたりのカルスト台地の侵食された切り立った山では、こうは見えない、、、。(2014年春詠)

いにしへを想ひしをれば蝶よぎる

備中国分寺の山門から少し下ったところに梅園がある。名所旧跡に限ったことではないが、今はこうだが昔はどうだったのだろうかと、古い時代を想像してみると楽しい。例えば備中国分寺であれば、その周囲の道の様子であるとか、民家の数であるとか、行き来する人の数とか。簡単に言えばよくある何々寺縁起というような絵巻物のような世界を、現在の風景を眺めながら想像してみる。満開の梅園でそんなことをしていたら、突然湧いたように目の前を蝶が過ぎて行った。おっとっと、俳句を詠まなければ句会に間に合わないぞ、と、、、。(2014年春詠)

一息に塔の上より恋雀

備中国分寺の五重塔。人間の登ってこない塔の上は雀にとっては格好の生活の場なのでしょう、普段でも枯草のような物を咥えて上の階へ上の階へと登っていく姿を目にします。そして繁殖期、二羽がもつれるようにして落ちてきます。アレアレと思う間もなく、地上の手前で、何事も無かったように二手に分かれて飛んでいくのです、、、。同じような光景を奈良の薬師寺でも見た記憶があります、、、。(2014年春詠)

春昼のたつぷりと水使ふ音

近所から聞こえてきた音。蛇口から勢いよくバケツの底を打ち、その勢いのままに音の高さが低く変化し、溢れる寸前のところで蛇口がしまる。ほんの少し間が空き、その水を勢いよく丸ごと何かにかけるような音。少し間が空きバケツを置く音、また蛇口から勢いよく水が、、、。と、それが何度も繰り返される。まったく声は聞こえない。わざわざ見にも行けないのだが、その水の使いっぷりが何とも気持ち良く聞こえてくるのだった、、、。(2013年春詠)

コミュニティーバスの桃色あたたかし

田舎のどこに行ってもコミュニティーバスに出会うようになった。それだけ過疎化が進んで、路線バスの運行が成り立たなくなったということなのだろう。コミュニティーバスは小型で丸っこい形のものが多い。そして色は桃色系、、、。こんな時代が来るなんて思ってはいなかった。田舎の細い未舗装の道を路線バスにゆられて旅をした頃が懐かしい、、、。(2014年春詠)

トンネルを抜けて水来る春の川

自然の川の流れも良いのだが、琵琶湖疏水を見てからは人工の流れにも惹かれるようになった。掲句は琵琶湖疏水では無く、川というか用水というか、水が丸ごとトンネルから出て来ていた、普通の田舎の小さな流れの風景。人工の流れにはトンネル以外にも、橋を渡ったりサイフォンの原理で川の底をくぐったりと、風景ののどかさとは別の面白いことがある、、、。(2014年春詠)

春昼の訛くすぐつたき茶房

昨日と同じく茶房いかしの舎での句。いつもこうなのか、たまたまなのか、茶房の客は句友を除けば常連と思われるそこそこ歳の行った男性二人、店の若い女性相手に会話が弾んでいた。会話はコテコテの岡山弁、妙に懐かしいような、くすぐったいような気分になるのは、子供の頃に親しんだ故郷の訛に近かったからだろう、、、。(2014年春詠)