秋日濃し漢眠れる土手の草

散歩の途中でふと見ると土手と河原の境のあたりに人が倒れている。あまり身なりが良いようには見えない男性。もしかして行き倒れ、あるいは死人、と思ったがよく見ると微かに動いている。どうするか落ち着いて考えようと、そのままもう少し散歩を続けて、戻ってみると跡形もなく消えていた。どうやら天気が良いので眠っていただけだったらしい、、、。(2020年秋詠)

もろもろの家の隙間や秋日入る

「ごめんよ」とも「入るよ」とも言う訳でもなく、知らぬ間に部屋の中に日差が入る季節になっている。実はこの日差が昼間の暑さに大きく影響していると気が付いた。日差を遮った薄暗い部屋にするとエアコンの効きもずいぶん違う。そのエアコンともそろそろさようなら。日差が恋しくなる季節が近づいて来る、、、。(2019年秋詠)

俳人の見つむる先の秋日かな

倉敷美観地区にある新渓園の四阿に我が師富阪宏己の姿を見つけた。一心不乱に句作されている姿は近寄りがたい。何を詠もうとされているのか、その視線を追った先には溢れる秋の日差とロダンの像、さてどんな句になるのだろうと楽しみに思いながらその光景を記憶に焼き付けた。ついでに俳句帳にも、、、。昨年の今日、これがお元気だった師との最後の句会となってしまった、、、。(2018年秋詠)

秋日濃し絵図と比べる干拓地

早島公園の山上に絵図が設置されている。絵図には今一望している場所の干拓が始まった頃の様子が描いてある。ようするに見えている場所のほとんどが、かつては海の底だったようだ。遠い昔に想いを馳せる、ここが海だったとは、、、。(2017年秋詠)

大鯉の浮かびては呑む秋日かな

倉敷美観地区の大鯉、川の大鯉だとこうは行かない。浅瀬に身を並べ水中の藻などをつついているが、人影を察知するとスルスルと素早く沖へ移動して行く。その代わり川の大鯉は時たま見事なジャンプを見せてくれる。空中の虫でも捕ろうとするのだろう、失敗して連続三回ジャンプなんてこともある。美観地区の大鯉が跳ねるのは見たことがない、、、。(2014年秋詠)