昨年の春、高速バスで久しぶりに大阪へ行きました。進学か就職か、まずは始発駅での深刻そうなお母さんとあっけらかんとした少女の別れがありました。途中のバス停では運転手さんに託して小さな男の子を旅に出す心配そうなお母さんの顔、そして終点ではその小さな子と迎えに来たおばあちゃんの嬉しそうな出会いの顔が。旅は楽しい、、、。(2017年春詠)
渡辺牛二の俳句ワールド
昨年の春、高速バスで久しぶりに大阪へ行きました。進学か就職か、まずは始発駅での深刻そうなお母さんとあっけらかんとした少女の別れがありました。途中のバス停では運転手さんに託して小さな男の子を旅に出す心配そうなお母さんの顔、そして終点ではその小さな子と迎えに来たおばあちゃんの嬉しそうな出会いの顔が。旅は楽しい、、、。(2017年春詠)
旅からの連想で、
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
を、思い出しました。
俳人ならではの着眼・発想なのでしょうか?
俳人だからとい事はないと思いますが、日本的ではあるでしょうか。