紙器工場夜業の窓にラジオ鳴る

これも初期の句です。見るもの聞くもの何でも新鮮で句になっていた、、、。秋になると少し遅れると日暮れて帰ることになる。通勤途中にある紙器工場はその時間帯にはいつも明かりが点いていた。開け放った表戸のすぐ奥で古びたプレス機が動き、窓辺ではラジオが大きな音をたてていた。人影を見ることはほとんど無かったが、たまに見るのはいつも同じ中年の男性だったから、一人だけの工場だったのかも知れない、、、。(1998年秋詠)

モノレール千里の秋へ滑り出す

初期の作品です。中国道を走っての大阪出張、吹田近くになると見られる大阪モノレールの風景です。そう、千里は大阪の千里です。伊丹発着の飛行機が見えて、モノレールが見えて、万博公園の太陽の塔が見えると吹田出口、「やれやれやっと大阪」と思ったものですが、今となれば出張も懐かしい、、、。(1998年秋詠)

宅配の一声響き梨届く

ずいぶん昔の作品です。当時この辺りで梨と言えば鳥取の二十世紀梨、そんな頃にこちらのほうが美味しいよ、と届いたのが品種は忘れましたがこの梨です。確かに、、、。今はいろいろな梨が出回っていますね。梨に限らず果物の美味しい季節です、、、。(1998年秋詠)

チューリップ家庭訪問待つ庭に

家庭訪問は好きでした。たぶん、その期間は学校が早く終わるからかも知れませんね。掲句は初心の頃の句です。チューリップがきれいに咲いて、家庭訪問の日まで何とかもって欲しいと思っていましたが、結果は、、、。(1998年春詠)

初はやて自転車の子等前傾す

昨日も今日も俳句を始めた頃の句、見るものすべてが新鮮で駄句をたくさん詠んでいた。掲句、突然吹いて来た風に、自転車通学の男の子たちが一斉に前傾するのを見た時の句です。今となっては「初はやて」は疑問ですが、まあ良しとしましょう、、、。(1998年冬詠)

鳥撃ちのまだ目の開いた鴨を提げ

昨年はとうとう見ることが無かったが、禁猟区ではない吉井川沿いの散歩コースには、以前は鳥を狙うハンターの姿が度々あった。猟犬の声が聞こえ、猟銃の乾いた音がすると心が痛んだ。姿は見ずとも河原に空の薬莢が落ちており、水鳥が消えていることも度々あった。掲句の時はたまたま撃ったばかりの鴨を提げて茂みから土手に上がってきた男に行き会った。鴨はもう死んでいるのだろう、男に足を提げられて伸びきった首に、艶々と鮮やかな青い毛と、うつろな眼があった。男の眼は血走っていた。二度と見たくない光景だった、、、。あれから十五年、今は猟師の姿を見ることはほとんど無い、、、。(1998年冬詠)

大根の白を積み上げ朝の市

昨日の漬物樽からの連想で大根の句を持ってきましたが、古い句でどこの朝市だったか忘れてしまいました。記憶にないということは、近くのスーパーか何かの朝市だったのかも知れませんね。積み上げられた白がまぶしい、、、。(1998年冬詠)

通園のバス待つ母子手に野菊

俳句を始めて間もない頃の通勤途中の光景です。ああ、こういう光景を見ることも無くなったなあ。例えばあの時の子が5才だったら、今はもう20才の大人です。どういう青春を送っているのでしょうか、、、。(1998年秋詠)

蜩の山より風が吹いてくる

合宿の初日は、休み中の怠惰な生活が祟って、いつもひどいものだった。食事も喉を通らず、休み中の生活を後悔しながら、這うようにして練習をした。そして、一日の練習を終え、グランドの整備が済んだ頃には夕風が立っている。夕日が見える小高い位置に置かれたベンチに座り、蜩の声に包まれて飲む一本のコーラの、何と美味しかったことか、、、。安東次男の<蜩といふ名の裏山をいつも持つ>の句を知った時、私は瞬時にこの合宿の蜩を思い出した。安東次男が津山市沼の出身と知ったのは後のことだが、次男が詠んだ、いつも心にあった蜩とは、まさにあの蜩だったのである、、、。(1998年秋詠)

蒲公英の発つ時近し飛行音

二年目に入り、また原点に戻って古い句を持って来ました、、、。このブログに使っているソフトは WordPress という無料のソフトですが、よく出来ていて、予約投稿という便利な機能があります。その機能を使い、だいたい一週間ぐらい先を目処にして書くようにしています。今(書いている今)は五日の啓蟄です。青空が広がり、やっと暖かくなりました。囀も聞こえています。そうすると、予約投稿した五日の啓蟄の句はちょうど合っていたなあ、と喜んだりするのです、、、。(1998年春詠)