晩秋の日だまり猫のここちかな

猫はそれぞれ特等席を持っており、十分に晩秋の日差を楽しんでいる。そんな猫のような気分で、、、。さて、「ボスの命は短くて」、また一匹のボス猫が世を去った。正確に覚えている訳ではないが、一年ほど前だったろうか、首輪の鈴を鳴らしながら颯爽と登場した茶色の若い猫、すぐに頭角を現してボスに治まった。飼われるのが嫌で逃げてきたのか、やがて首輪の鈴も取れ毛並も薄汚れて来たが、風格は増すばかり、じろりとこちらを睨んでは、尻尾をピンと立てたまま、塀の上をゆっくりと歩いていくのだった。それが大怪我をして隣の玄関前で動けなくなっていたのが一週間ほど前のこと、隣の空いていた犬小屋で様子を見ていたが、水も飲まず餌も食べず、四日ほどで亡くなってしまった。猫はボスになると行動範囲も広がり、仕事も増える。勢力争いによる怪我とも輪禍とも分らないが、なんとも短いボスの座であったことだろう。そして、新たな二匹の、次のボスの座を賭けてだろう、我が家の夜の庭には争う声が聞こえている、、、。(2009年秋詠)

秋澄むや句会の窓にビートルズ

当時は時々奉還町のリブラで句会があった。リブラは一階が小さなギャラリー二階から上に句会の出来るような部屋があった。ギャラリーの前が広場になっており、その横に二階へ通じる階段が伸びていた。広場には時々弾き語りをする若い女性の姿があった。ちょうど句会が始まる頃から歌い始め、句会の間中歌声は続いたが、その声は時には句会を忘れて聞きほれるほど良く通る美しい声だった。掲句のビートルズがどの曲だったかは忘れたが、その声だけは記憶に残った。今はこの日曜日の句会は無くなり、あの歌声を聞くことも無くなったが、きっと今もどこかで歌っているのだろうと、奉還町の句会へ行くたびに思う、、、。(2009年秋詠)

柿の木のあること言へず柿もらふ

我家の柿の木は、長い間ほったらかしにしていたからでしょう、刺されるとひどい目に遭う毛虫が増えて来ました。そこで、去年のシーズンオフに思い切って大掛かりな剪定をしました。今年は生らなくても仕方ないと思っていたのですが、それでも富有柿のほうには少し実がついています。西条柿のほうは一つだけ、、、。掲句、生り年の柿を、「有ります」、の一言が言えずレジ袋でいただいた時の句、、、。(2009年秋詠)

仁王門過ぎて百段秋暑し

昨日の続きです。仁王門からさらに百段ほどの石段が続きます。足には自信がありますが、さすがにこの百段はきつく、暑いだけで虫時雨を聴く余裕はありませんでした、、、。という、つまらない落ちです、、、。<余談>精進料理のお店は参道を挟んで二軒あります。食べ比べたことは無いのに、最初に美味しいからと連れて行ってもらったほうのお店ばかりに行ってしまいます。これってなぜでしょうね、、、?(2009年秋詠)

仁王門までの百段虫時雨

鳥取の郊外にある摩尼寺での句。寺の石段にかかる手前に精進料理のお店があります。実はその料理が主たる目的で、何度か寄ったことがあるのですが、摩尼寺の本堂まで上ったのはこれが二回目です。もちろん、先に精進料理をいただいて、腹ごしらえをした後です、、、。石段にかかる手前には参拝者用に杖が用意されています。それだけ長く急峻な石段が続きます。もちろん、私は使いませんよ。覚悟して上ります。両側にある石灯篭や杉の巨木を見ながら、虫時雨の中を一歩ずつ上って行きます。百段ほど石段を上ったところに仁王門があります。少し平地になっており、置いてあるベンチで一休みです。水を持っていて良かったと思った瞬間でしたが、目の前には本堂へむけて、次の石段が見えているのです、、、。(2009年秋詠)

汗ふきの端を咥へて測量士

外でする仕事はいろいろあるが、どれをとっても楽な仕事などありそうもない。掲句は2009年に詠んだ句だが、平日に出ることが多くなった今、暑い中で仕事をされている方々の姿を見る機会も増え、改めてそう思うのです、、、。(2009年夏詠)

汐入の川に夕風雪加鳴く

岡山の中央公民館での句会は雪加の声でしばし中断した。私が雪加の声を聞いたのはそれが最初だった。窓の外のどこからか続くヒッツ、ヒッツ、ヒッツ、ヒッツと聞こえる声のリズムは、私にはまるで機械仕掛けか何かのように感じられた。句会が終り、外に出たのはもう夕方だった。公民館から後楽園の駐車場まで旭川沿いを皆さんと歩いた。歩いていく途中、内田百閒の公園があるあたりに、筒状の鳥の巣が落ちていた。大きめのコップといった形は、人工的に作ったようなきちんとしたものだった。急いでいたし、あえて足を止めることもしなかったが、家に帰ってネットで雪加を調べていると、今日見たのと同じ筒状の巣が載っていた、、、。(2009年夏詠)

音立つる社旗安全旗蒼嵐

隣の工場は有名な電子部品のメーカーで、玄関前のポールには毎日社旗と安全旗が掲揚されていた。風の強い日には旗が煽られてロープを揺らし、そのロープが金属製のポールを打つ音がカンカンと力強く聞こえて来た。隣の芝生は本当に緑だった、、、。(2009年夏詠)

喪帰りの庭の暗がり糸とんぼ

親戚であったり、近所であったり、会社関係であったりと、とにかく不幸の続いた時期があった。あんまり多いので、私が「休みます」と言えば「葬式ですか?」と聞かれるようになった、、、。そんなある日の葬式から帰った時のことです、、、。(2009年夏詠)