一度植えられると何年でも同じところに芽を出して花をつける。しだいに数も増えていく。つくづく生命力が強いなあと感じる。徒歩通勤のちょうど中間あたり、道路とカーブして流れる水路の間の、取り残されたような土の部分に、柿の木と棗の木、そして植えられたものか捨てられたものか、毎年育ち、沢山の花をつける立葵があった、、、。(2009年夏詠)
カテゴリー: 2009
絵に描いた形のままに守宮死す
工場にはいろいろな生物が住み着いていた。大きいものでは鼬、鷺、ヌートリアも見たことがある。青大将、鳩、鴉、鶺鴒、雀、雲雀、蝙蝠、鼠。小さいものに団子虫、そして守宮がいる。守宮は多くはないし、どちらかというと隅っこのほうが好きなようで、目立つ存在ではなかった。ある日倉庫の隅の段ボール箱をどかすと、隣り合っていた段ボール箱に張付くようにして干からびた守宮の死骸が出てきた。いきなり段ボール箱に命を奪われたのだろう、まるで何かの絵に出てくるような身体を少し曲げ、四肢を踏ん張ったままの姿だった、、、。(2009年夏詠)
五線譜に残るメモ書暮の春
いろんな事をやって、行き着いたところにあったのが俳句だった。ご多分に洩れずギターもやった。始めたのは中学三年生のときで、ギターも三本も持っていたこともある。田舎に帰ればまだ一本は残っていると思うが、手元にはもうない。もう手は動かないが、楽譜は読める、と、お、も、う、、、。(2009年春詠)
鶯や目鼻わからぬ石地蔵
ご先祖様は信心深かったのでしょう、家の横の石崖沿いのほんの小さなスペースにも、お地蔵様や五輪塔などがあります。今では草の中で、申し訳ないという心だけは持ち続けているのですが、手が回りません、、、。このシリーズ終りです。<その9>(2009年春詠)
春泥に一枚渡す板の橋
山も荒れているだろうと思いながら道を辿ると、昔から足元が悪かった場所に荒削りの板を渡しただけの簡単な橋が架けてあった。ああ、まだ山仕事をする人があるのだと、少し安心した。林業が盛んだった頃に整備された道も、今は歩くのもままならないような状態だが、そんな中に人の通った跡が続き、辿るとたくさんの椎茸の原木を並べた場所に出た。山の中でそこだけが明るく、たくさんの春子が芽吹いていた、、、。<その8>(2009年春詠)
休み田を分けて一条春の水
これは実家から少し山のほうへ行った風景です。昔は見上げるような山の上にも民家があり、棚田が続いていましたが、人が減り、民家も無くなり、かつての棚田もただの湿地になってしまいました。そんな湿地となった棚田の中に、長年の間に自然に出来たのでしょう、細い水路が一本次の田に続き、小さな水音をたてているのでした、、、。<その7>(2009年春詠)
春の川魚影たしかめつつ歩く
川と言っても小さな川ですが、それでも魚影は濃く、学校から帰ると日課のように釣に出かけました。小さな川は大雨が降ると川の流れまで変わり、釣のポイントも変わります。新しい大物も上って来ます。だから大雨が降ると水が引いた後の釣を楽しみにしていました、、、。昔と比べるとずいぶん流れが変わりましたが、ポイントの場所には面影が残っています。人影に驚いて逃げる魚影も見えます。歩きながら、もう釣竿も残っていないだろうなあ、なんて思うのです、、、。<その6>(2009年春詠)
過疎の村つなぐ電線鳥交る
あちらの家も一人、こちらの家も一人、そんな過疎の村の家と家を、電線が繋いでいます。賑やかだった昔と変わらず、、、。お坊さんの読経の中で眼をやった電線の光景、、、。<その5>(2009年春詠)
芽吹く木に鴉見てゐる七回忌
鴉ってよく知っていますね。お供えをするときから、もう近くの木で待っていますから、、、。人が居なくなると小一時間もしない間に、お供えは無くなってしまいます、、、。<その4>(2009年春詠)
道なりに行けば墓あり里の春
田舎に行けばどこも似たようなものですが、それぞれの家にほど近い場所に墓地があります。私の実家の今使っている墓地は、家から三百メートルほど離れた場所にあります。家のすぐ裏手にも古い墓地があるのですが、こちらは私が生まれる前から満杯で、私の曽祖父からはこの離れた墓地に眠っています。墓地までは川沿いにカーブしながら道が続いています。天気が良ければその道を、それぞれ花やお供えを持ってお坊さんと一緒に歩いて行きます。行き着くまで車にも人にも会わないようなところです。雑音の一切ない静けさの中を流れる水音や小鳥の声を聞きながら、それぞれの歩調で歩いていきます、、、。<その3>(2009年春詠)