これはたまたま父の七回忌での光景ですが、こんな事ってよくありませんか?まだ戸を開けての法要には早い時季、気を利かせたつもりで向けた暖房のかげんで、お坊さんが一番に咽だして、やがてその煙が部屋中に漂って、あっちでもこっちでも、、、。<その2>(2009年春詠)
カテゴリー: 2009
ふるさとの水音高し初蛙
出来る時は出来るし、出来ない時は出来ない。俳句ってそんな物ですね。だから出来る時に詠めばいいと思っていると気が楽です、、、。掲句は父の七回忌を終えてホッとしている時に鳴いた初蛙です。七回忌の前はさすがに気がかりで、思うように詠めませんでしたが、この初蛙の大きな声がきっかけで詠めるようになりました。この時の句を中心にまとめて、アンソロジー合歓Vol.3に「山ばかり」として出しました。既出の句もありますが、まだの句もありますので、それを少し書きます。<その1>(2009年春詠)
日めくりや雨水一粒万倍日
降る雪が雨に変わり、積った雪や氷が解けて水になるとの意で、雨水という。 一粒万倍とは、一粒の籾が万倍にも実る稲穂になるという意、一粒万倍日は何事を始めるにも良しとする。会社の柱にかけてある大きな日めくりを見ていて見つけた、雨水と一粒万倍日が重なった日。それだけなのだが、なんとも春らしい日ではないか。なんて事を考えて喜んでいたのも今は昔、、、。(2009年春詠)
義理チョコの小ぶりのリボン春浅し
ははは、小ぶりだからどうってことはないんだが、なんとなく義理チョコっぽく思えたものだ。昨年は四国で「一足早いですが」と帰る日にいただいた。あっ、お返しを忘れてる、ごめんなさい、、、。(2009年春詠)
粉雪のやがて牡丹となる気配
雪国の方には申し訳ない話です。朝起きて散歩に出ようとすると、明けきらない暗い空から白い物がちらつき始めています。しばらくすると霰交じりの粉雪に変わり、やがて大地を覆って行きます。この頃になると、大地の濡れ具合や降る状態で、積る雪かすぐ解ける雪か分かってきます。大地が白くなったあたりから雪が少し大きくなり、激しさを増してくると積ってきます。積りそうだと思うと楽しくなってきますが、その状態がどれくらい続くかです。ほんとに大きな牡丹雪に変わる頃には気温が上がり、積もりつつ解けつつといった状態になり、やがて雪は底をついてしまいます、、、。(2009年冬詠)
挨拶にもらふ白菜四つほど
これは実家の隣の、昨日とは別のお婆さんです。分からない事があれば聞きに行き、いろいろお世話になっています。この時もお聞きしたい事があって挨拶がてら伺ったのですが、帰りにはこれしか無いからと大きな白菜を四つも持たされてしまいました、、、。(2009年冬詠)
冬耕や地につくほどに腰曲げて
実家の近所の一人暮らしのお婆さん、亡くなった私の母と歳はそう離れていないと思いますが、相変わらずお元気で、天気が良ければ曲がった腰をさらに曲げて畑をされています。家は私の実家から直線距離で30mほど、正面ではありませんが良く見えます。おかげで防犯カメラが要らないぐらいに良く観察されています。どこでも年寄りの楽しみは同じですね、、、。(2009年冬詠)
雪降つて皆平等に白き屋根
たまに降るからこんな事が言えるので、雪深いところで生活すると、厄介な代物以外の何物でもないとは思いますが、景色を一変させる雪は昔から好きです、、、。(2009年冬詠)
枯山と枯山からす鳴き交す
これも実家での句。Vの字の底のようなところですから、両側に高い山があります。その両側の山で鴉が鳴き交わすことが出来るのですから、どんな地形かは想像出来ると思います。寂しいことですが、すでに限界集落になりつつあります。その一因は私にも、、、。(2009年冬詠)
川音の子守唄ほど山眠る
これは実家での句。我家から数十メートルも行けば山の中になります。その山から流れ出た小さな谷川は、我家の前を通り小川へと続きます。鉄分の多いきれいな水で、かつては我家はもちろん、近所の大切な生活用水でした。小さな谷川ですから冬には水量が減ってしまいます。水音も小さく、やさしくなってしまいます、、、。(2009年冬詠)