寒禽や急坂吾に容赦なく

久米南町は川柳の盛んなところです。いたるところに川柳の句碑があります。中でも津山線の弓削駅からほど近いところにある川柳公園とそこに続く遊歩道の川柳の小道には沢山の句碑があります。ほど近いですが、川柳公園があるのは山の中腹で、そこに続く川柳の小道の坂は急です。川柳の小道を通らす、車で公園まで行けますが、川柳の小道の急坂もまた味があります。足に自信のある方は覚悟して歩いてみてください、、、。掲句はその急坂での句、鬱蒼とした森に不安を感じながら初めて登ったときの句です、、、。(2009年冬詠)

窓際につるす喪服や寒茜

小六誠一郎さんの句に「小春日の葬の家まで小半時」があります。私が初めて出た合歓の会の句会で、この句に共感できることをしどろもどろにしゃべった記憶があります。父が亡くなり、身体が不自由になった母の代わりに田舎の葬儀に出るようになった頃でしたが、田舎での葬儀は実際こういう感じでした。子どもの頃に通った道を、葬儀のある家まで記憶をたどりながら、小春日の中を歩いていくのです。人の死が哀しくないわけは無く、それは不謹慎な事ですが、私にとってその小半時は、死者からいただいたありがたい時間なのでした、、、。初めての句会で不安そうに見えたのでしょう、やさしく声をかけてくださった恰幅の良い紳士が誠一郎さんでした、、、。その誠一郎さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。良き句友であり、人生の大先輩でした、、、。(2009年冬詠)

冬の道いつもどこかが濡れてゐし

県北の冬はこういう感じなのです。雪でも降ろうものなら、当分は残っているし、時雨であったり、霙であったり、乾かないうちに次が降ってくるのです。そして道は、いつもどこかが濡れているのです、、、。(2009年冬詠)

人小さく銀杏黄葉の下を掃く

我家から少し走ったところに国道が交わる交差点があります。その傍のお宅に大きな銀杏の木があり、落葉の季節に信号待ちをすると、交差点に舞散る黄葉が見えます。信号の変わり際の一瞬だけ車が途絶えた空間に、空から銀杏の黄葉が降って来る。絶景です。短時間ゆえの儚さが美しさを増幅させるのでしょう。その道が今拡幅工事の真っ最中です。この銀杏もやがて切られる運命なのだろうと、先日その交差点で止まった時にふと思いました。落葉にはまだ少し早い時季でした。掲句は徒歩通勤の途中の作楽神社で見かけた風景。銀杏の大木が何本もあります。これもまた絶景です。(2009年秋詠)

天に鵯地に子どもらの日曜日

岡山大学から程近いところに公園「こどもの森」があります。入場無料ですが自然がいっぱいで手入れも行き届き、子どもたちが遊ぶにはもってこいです。俳句好きの大人が遊ぶにももってこい、ということで合歓の会の吟行があった時の句です。秋晴の公園はたくさんの子どもたちで溢れ、賑やかでした。色づき始めた木々の上にはたくさんのヒヨドリが、これもまた賑やかに秋を満喫しているのでした。無料駐車場が狭いのが難点でしょうか。(2009年秋詠)

まだ青き毬ふみ分けて栗拾ふ

さて、公園でしばし休憩のあとは一気に棚田の縁まで上り、棚田を見下ろしながら山道を駐車場まで歩きます。山道には日蔭と日溜りが交互にあります。日蔭に入ると寒さを感じますが、日溜りに咲いた釣船草には虫たちが群れて賑やかです。山からせり出した栗の木からはまだ青い毬が落ちています。たいていは空っぽですが、中には落ちたばかりの毬もあり、艶やかな栗が顔を覗かせていることもあります。両方の靴で毬を踏んで、刺の間から上手に栗を拾うのも、秋の楽しみの一つですね。一先ずこれで棚田吟行は終りです。<その10>(2009年秋詠)

秋晴や棚田づたひに宅配車

棚田の底の公園から見ると、上部の棚田の縁のようなあたりに民家が点在しています。その家々をつなぐように、道もまた棚田に沿って、上ったり下ったりしているのです。エンジン音に目をやると、そんな棚田沿いの坂道を見慣れた宅配車がゆっくりと上って行くのが見えました。走っているのはその車だけで、ちょうど映画のワンシーンかなにかのように見えました。<その9>(2009年秋詠)

秋日濃し二人ベンチに語らへば

一時間ぐらいは歩いたでしょうか、公園まで下りた頃には霧は完全に消え、暑いほどの秋晴になっていました。四阿のベンチでしばらく休憩です。俳句のあれこれを話していると、つい時間を忘れてしまいます。句友っていいものですね。時々「句敵」などと言われますが、、、。<その8>(2009年秋詠)

溝蕎麦や崩れ木橋の高さまで

棚田に沿う水路はやがて集まり小川となります。小川もすでに水は少なく、一面に秋草に覆われています。中でも大きく育った溝蕎麦の薄いピンクの花が群れ咲く様は、花の中に橋がかかっているようで、しばらく見とれてしまいました。<その7>(2009年秋詠)