穴まどひ逃げるが勝と隠れけり

軽トラックがやっと通れる棚田の道では、田の畦に上がって車をよけます。そこに居たのは先客の蛇でした。基本的には人間と争う気はありませんが、割り込んで来たのが好奇心旺盛な俳人とあってはなおさらです。こそこそと石垣の隙間に隠れてしまいました。案の定句友はその辺りを熱心に覗き込んでいましたが、時すでに遅く影も形もありませんでした。畦の草むらでゆっくり日を浴びて居たかったであろう蛇には悪いことをしましたね。<その5>(2009年秋詠)

かそけしや田仕舞あとの水の音

棚田沿いには道と一緒に細い水路があります。収穫が終わり仕事を終えた水路には、申し訳程度の水が流れ、小さな音をたてています。春先の勢いのある水音も好きですが、秋の歌うような細い水音も好きです。やがて長い冬の眠りにつく棚田の子守唄のように聞えます。<その4>(2009年秋詠)

草紅葉歩幅小さく坂下る

段々になって居れば棚田かと言うとそうでもなく、傾斜度が20分の1以上を棚田と言うそうです。20分の1と言うと、20m行って1m下ることになります。大垪和西の棚田はそれよりはるかに急で、ちょうどすり鉢の傾斜ぐらいはあるでしょうか。道はコンクリート舗装されていますが、すべりそうで、歩きなれていても小幅になってしまいます。なれていないともっと小幅に、、、。<その3>(2009年秋詠)

猪垣やまるで迷路の棚田道

観光案内に850枚と書かれている大垪和西の棚田は、車で行くと山道を上っていき、ちょうど棚田を見下ろす位置に到着します。見下ろした底の部分に小さな公園があり、トイレと駐車場があります。車でも回れますが、ゆっくりと棚田沿いの道を歩くのがおすすめです。農作業の邪魔にならないように、、、。猪垣も今は電気柵の時代です。昔のトタン板を並べた猪垣と違い、周囲に溶け込み違和感がありません。ちょうど迷路の行き止まりのように、時々道を遮断するように設置されていたりします。<その2>(2009年秋詠)

晴るる日の予感の霧の流れけり

秋が深まるにつれ岡山県北部では霧に包まれた朝を迎えることが多くなります。霧が深いのは晴れる日のしるしですが、霧が消えるのは遅くて、お昼ごろになってしまうことさえあります。掲句は美咲町大垪和西の棚田(日本の棚田百選)に句友を案内したときの句。着いた時には棚田全体がすっぽりと霧に包まれた寒い朝でしたが、歩き出すと待っていたかのように霧が流れ、太陽が覗き始めるのでした。その時の句を少し続けます。<その1>(2009年秋詠)

水澄んで水の影ある水の底

秋の晴れた日に、川の澄んだ流れを見ていると、表面の凹凸と日差の角度の関係か、水底に水の影が見えることがあります。子どもの頃から水を見るのが好きで、いまだにその癖が治りません。一年中見ていても、川の水がほんとうに澄むのは、わずかな期間だけのように思います。(2009年秋詠)

猪垣をまたいで山の人となる

村中を囲むように延々とトタン板の猪垣がめぐらせてある。私が子どもの頃も猪の被害はあったが、今のように猪が民家の傍にまで出てくることはなかった。人が減り、捨て畑や休耕田が増える事で人間のテリトリーが狭まって行き、ついには自ら垣の中で暮すことになってしまった。その一因はお前にもあるのだと、白く光る猪垣は私の行手を阻んでいるように見えた。(2009年秋詠)

稲育つ校長室の水盤に

木造校舎の正面玄関を入ると、右に校長室、左に職員室があった。職員室には度々入ったが、校長室には六年間の小学校生活を通じてほとんど入った記憶がない。ただ黒光りのする広い部屋で、机の上の四角形の水盤に、整然と稲が育っていたことだけを覚えている。稲は田圃で育つものと思っていたので印象深かったのだろう。校長先生はある日の朝礼で、人間には「馬鹿馬鹿」(馬鹿そうに見えて馬鹿)「馬鹿利口」(馬鹿そうに見えて利口)「利口馬鹿」(利口そうに見えて馬鹿)「利口利口」(利口そうに見えて利口)の四種類がある。一番悪いのは「利口馬鹿」だ、「利口馬鹿」にはなるな、と言われた。(2009年秋詠)

野に咲いて朝顔藍を深めけり

朝顔は強いですね。河原に捨てられた蔓から種が落ち、それから毎年毎年河原で花を咲かせる朝顔があります。だんだんと原種に戻ってくるのでしょうか、花は年毎に小さくなりますが、栽培種の大輪には無い美しさがあります。(2009年秋詠)