芭蕉の古池もこんなだったのかと思う近くの神社裏の古池。魚の姿は無く、少しばかりの睡蓮と蒲が大きく育っている。住んでいるのは蛙、もちろん牛蛙ばかりではないが、存在感を示しているのは牛蛙、何匹かが周囲を威嚇するような大きな声で鳴いている。池に飛び込む音にも情緒は無い。ドッブンと飛び込む、、、。(2016年夏詠)
カテゴリー: 2016
八月は鎮魂の月日々新た
八月です。広島、長崎、そして終戦記念日へと鎮魂の日は続きます。平和な時代に生まれ、こうして俳句を詠める有難さを思いつつ、今年も八月を過ごして行きたいと思います、、、。(2016年夏詠)
庭箒ふれなば動く雨蛙
どこで生まれるのか分からないものにアマガエルがいます。我が家の庭にもたくさんいますが、蛙になるまでどこで生活しているのか不明です。今の時季になると小さい(1cmにも満たないような)蛙が出現します。たくさん生まれてたくさん死んでいくという事でしょうか、踏まれたわけでもないのに、コンクリートの上で何匹も干からびています。木の上で発生して、落ちたところが硬いコンクリートだったということかも知れませんが、これは私にも助けようがありません、、、。(2016年夏詠)
青田風勢そのまま神域へ
早いものですね。六月に植えられた苗がもう青田になっています。風が抜けて行きます。田圃を越えて、その向こうの氏神様へ、、、。(2016年夏詠)
扇風機うなづく事のなかりけり
昔の扇風機しかありませんのでこう思っていたのですが、どうも最近の扇風機はそうでもなさそうですね。時代は変わります、、、。(2016年夏詠)
花火待つ土手の温みに尻置いて
花火をもう一句。この温みが何んとも懐かしいのです、、、。(2016年夏詠)
潔くなりたし空の花火ほど
花火のシーズンですね。毎週のように土曜日の夜になると花火の音が聞こえてきます。完全に光が消えて音が聞こえてくるぐらいの遠花火です、、、。(2016年夏詠)
夕立の来るぞと庭の木々騒ぐ
待ちに待ったと言うと可笑しいですが、夕立の来る前のざわめきは好きです、、、。(2016年夏詠)
一枚に男と鷺と二番草
暑い中を田に入って草をとる姿、昔は普通でしたが、ずいぶん少なくなりました。その姿を見ると声をかけるのもはばかられる気がします。一度腰を曲げるとしばらくは下を向いたままなので、その間に通り過ぎようと思ったりします、、、。(2016年夏詠)
間延びして鳥の声する朝曇
今日は大暑、、、。子供の頃に朝目覚めると、遠くの山から何んとも不気味な、悲し気な声が聞こえることがありました。何だろうと思いながらもいつもうやむやで、次に聞くまで忘れているのでした。成長して横溝正史を読むようになると、その中に「鵺(ぬえ)」が出てきました。その記述が子供の頃に聞いた声とあまりにも一致するので、たぶんあれがヌエではなかろうかと思うようになり、その声を思い出しながら小説を読みました。やがてインターネットが始まると、その中は知識の宝庫でした。ヌエの正体はトラツグミという鳥と書いてある。姿も見えるし、声も聞こえる。恐る恐る聴いたその声は見事に一致しました。なんだ、あの不気味な声の正体はこんな鳥だったのかと、、、。掲句の鳥はヌエではありません、、、。(2016年夏詠)