空の色変はらず在りし原爆忌

昭和二十年、母は岡山の天満屋で働いていた。空襲があったのがその年の6月29日、たまたま実家(現総社市)に帰っていて難を逃れた。実家からも岡山の方角の空が真っ赤に見えて恐ろしかった。あのとき帰っていなかったらお前たちは生れていなかったのだと、幼い頃の寝物語に何度も何度も聞かされた。広島に原爆が投下されたのはそれから38日後のことになる。(1998年夏詠)