結局のところ、炬燵ほど便利で経済的な暖房器具は無いのではないだろうか、と都合の良い事を考えながら冬の間を炬燵の中で過ごした。もとより避暑避寒に縁がないのは経済的要因によるところが大きいのだが。もうしばらくはお世話にならなければならない、、、。(2016年春詠)
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春炬燵眠ればあの世近くなる
何となく出られないでテレビを見ているうちにいつの間にかうとうとしてしまう。テレビの音に気がつけばもう何十分かが経過して、見ていたシーンとつじつまが合わなくなっている。ああしまった、面白そうだったのに惜しい事をした。必要のない時に眠るのは、そのぶん生きている時間が短くなるのだから、考えてみれば勿体ない話だ。なんて野暮な事を考えながら、再びあの世のような時間に入って行くのでありました。日本に生まれて良かった、、、。(2015年春詠)
管理人呼べば出でくる春炬燵
津山市の城東地区にある作州城東屋敷、江戸時代の町家を復元した無料休憩所だが、管理を任されているのは地区の方らしい。いつも数人の方が居られるが、この時は入り口を入っても人影がなかった。ガラス戸の向うに灯りが見え、話し声が聞こえるので声をかけてみるが、笑い声に消されて聞こえないらしい。何度目かで「はあい」と返事があり、やおら立ち上がる気配。ガラス戸が開いて、出てこられたのはそこそこの老婦人。その後に大きな炬燵と、同じく同年代と思われる女性の姿があった、、、。(2013年春詠)
人逝くもひとつの話題春炬燵
久しぶりに田舎へ帰り墓参りをしてきた。父が亡くなったのは春のお彼岸、母が亡くなったのは秋のお彼岸、と、無精者の息子を気遣ってのことかどうか、いろいろ纏めて済ませてきた。掲句、まだ父母とも元気だった頃、久しぶりに帰ったの実家の春炬燵で、父ととりとめのない話で時間をすごした時の句。どこそこの誰それが、、、と、聞き覚えのある人の訃報に相槌を打ちながら聞いたものだが、数年後にはその父がその「どこそこの誰それ」になってしまった、、、。(1999年春詠)
春炬燵涅槃の底の猫の声
涅槃と言えば大げさだが、春の炬燵の中でうつらうつらしているのは「すべての煩悩の火がふきけされて、不生不滅(ふしょうふめつ)の悟りの智慧を完成した境地」に居るようなものではないだろうかと思う、、、。(2011年春詠)
春炬燵父に無心の迷ひ猫
晩年の両親はいろんな動物を飼っていた。ある時は九官鳥であったり、ある時は亀であったり、ある時は猫であったりした。帰省する度に新たな家族が増えたり減ったり、入れ替わったりした。その猫は見慣れぬ私など気にせず炬燵の父にしっかりとスリスリし、父も「どこから来たかわからん」と言いながら満更ではなさそうな顔で餌をやるのであった。(2002年春詠)