まつすぐに太平洋より冬の船

2011年の年末、四国で過ごした時の句です。五階ぐらいだったでしょうか、朝早くホテルの部屋のカーテンを開けると、窓の下に入江が広がっていました。その向こうに防波堤、そして太平洋。その太平洋から、明け始めた朝の光の中を一隻の貨物船が近づいて来ます。航跡を残しながらまつすぐに、、、。(2011年冬詠)

煤払蜘蛛の生涯思ひもし

忙しいときに何を考えているのでしょう。煤払の時期になると蜘蛛の姿はなく、ただ破れた巣が風に揺れているだけなのですが、いったいどこに行ったのでしょう。死んでしまったのか、どこかで冬眠しているのか。そんな事を考えるのは私だけなのでしょうか、、、。(2015年冬詠)

山国の普通のやうにしぐれけり

とにかく時雨が多い。たぶん盆地の特徴なのだろうと思う。何でもない空からパラパラと降ってくる。夏ならどうってことのないほどの雨だが、冬に濡れるのは乾かないのでなかなか厳しい。これが普通なんだと強がりを、言ってはみても、、、。(2015年冬詠)

教会の木椅子の硬しクリスマス

考えてみれば本物の教会へ行ったことは一度しかない。それもクリスマスではなかった。下宿していた友人の家のお姉さんがクリスチャンで、収穫祭の教会へ連れて行ってくれた。下宿していた場所も田舎だったが、その教会も、どうしてこんなところに?と思えるような農地が広がる中にポツンとあるちいさな古びた建物だった。お姉さんと、友人と、私と、一緒に下宿していたもう一人の友人と。お姉さんを除く我々は、けっして敬虔な心など持ち合わせていなくて、ただただ美味しいものが食べられるとの言葉につられただけだった。教会に集まった皆さんはどの方もとてつもなく優しかった。細長い机と硬い木の椅子、暖かい薪ストーブ、収穫に感謝し、讃美歌を歌い、そして最後にパンと鳥の足のささやかな食事が出た。鳥は鶏だったのか七面鳥だったのか、とにかく飢えた若者たちが敬虔な気持ちになるには十分な美味しさだった。この次はクリスマス、のはずだったが冬休みに入るとさっさと帰省し、次の年の春には下宿を離れ学生寮に入ったので、二度と教会へ行くことはなかった、、、。(2002年冬詠)

校庭の声止むチャイム冬日向

阿知神社の裏に回ると麓の小学校の校庭が見える。休み時間になると賑やかな声が響き、走り回る児童等の姿が見える。その声がちょうどピークになった頃にチャイムが鳴り、途端に声も児童等の姿も消えていく。後にはやわらかい日差があふれる冬の校庭だけがが残る、、、。(2015年冬詠)

裏窓の明るし残り柿に鳥

鳥が運んだ柿の種が芽を出し大きく育ち、去年ぐらいから実を付けるようになりました。残念ながら渋柿でした。熟柿になれば食べられるかもしれないと待ってみましたが、やっぱり少し渋が残った味でした。鳥たちが来て賑やかに遊んでいますが、さて鳥たちは食べてくれるかどうか、、、。(2015年冬詠)