日課の縄張りめぐり、猫だって涼しいところは知っている、、、。(1999年夏詠)
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山並の涼しくかげり行く雲か
高い所から遠くの山並を見ていると、その山並を大きな黒い雲の影が走るように覆っていった。同時に自分のいる場所も雲に覆われ、つかの間の涼しさの中に入っていった、、、。(2013年夏詠)
建前のクレーン伸びきる梅雨晴間
梅雨の晴間だけのことではありませんが、思わぬところで空に伸びたクレーンを見るのは何となく好きです。掲句、そのクレーンが完全に伸びきって、梅雨の垂れ下がった雲に今にも届きそうな感じだった。だいぶ遠いところだが何が出来るのだろうかと、そのクレーンの下あたりの地図を頭の中に描いて想像するのも楽しい、、、。(2013年夏詠)
鳶も子を育てるころぞえごの花
吉井川の川向こうに岸辺まで山がせり出したところがあり、高木が茂っている。この時季岸辺には、これも大きなえごの木に咲く白い花がちょうど良い距離感を持って眺められる。高木のどこかに鳶が営巣しているのであろう、えごの花に合わせるように、鳶の子の甘え声が聞こえるようになる。鳶の子は襲われる心配がないのか、その甘え声は大きくてうるさいぐらいに賑やかだ。ちょうどあのピーヒョロロを甘え声にした感じの声、、、。(2011年夏詠)
羽広げ風を呼込む鵜のかたち
いつ頃からか覚えていないが、吉井川にも河鵜が増えたり減ったりしながら生息している。時々川の中の岩場で羽を広げて動かない鵜を見かける。たぶん羽を乾かしているのだろうと思うのだが、寒い冬の雪の降る中でも同じ形でいることがあるからどうだか、、、。(2011年夏詠)
頬杖をつけば居眠る日の盛り
2011年の夏だから、たぶん会社で詠んだ句だろう、、、。(2011年夏詠)
垂直にビルの空あり夏つばめ
街には街の、田舎には田舎の燕が夏を謳歌している。考えてみれば燕はずいぶん適応性にすぐれた鳥だ。田舎の農家の静かな納屋の中でも、一晩中明かりの点った賑やかな都会の駅舎でも、平気で子育てをしている。燕は秋には南に渡り、また翌年戻って来るというが、都会で生まれた燕は同じ都会へ戻って来るのだろうか、、、。(2011年夏詠)
水遣りの水素通りに吊忍
まだ借家住まいの頃だから、かれこれ三十年前ということになる。実家に帰ると祖父が手慰みに作った吊忍があった。葉も少なく、色も若々しい、いかにも作りたてといった感じだった。私が興味深そうに眺めていたら、祖父が「やろうか?」と訊いてきた。「うん、ちょうだい」それでその吊忍は我家に来ることになった。以来三十年、少し痩せて形もいびつになったが、今年も青々と葉を出している。中に木炭を入れていると言っていたので、それが長寿の秘密かも知れないなあと思いながら、かけたそばから下に落ちる水を見ている、、、。(2013年夏詠)
泣菫の詩碑や角出し蝸牛
今日は長法寺へ紫陽花を見に行って、紫陽花の代りに出来たカタツムリの句。薄田泣菫の公孫樹下にたちての詩碑は参道脇の大銀杏のところにあります、、、。(2013年夏詠)
白紫陽花ほのと緑を透かせけり
掲句は車で通りすがりに見た街中の紫陽花です。今日ネットで何となく紫陽花の句を探していたら、渡辺水巴に「紫陽花や白よりいでし浅みどり」という句があった。あったからどうだって言うことではないのだが、これって私が見たのと同じような紫陽花なのだろうか?だとすれば、共感者がいたような気分がして、楽しくなってくる、、、。今日は夏至、、、。(2013年夏詠)