倉敷美観地区にある井上旧家、今は改修中のようで閉じられている。改修されてどのように公開されるのか楽しみにしている。掲句の頃は見学できるのは玄関を入った土間だけで、そこから座敷の奥も覗くことは出来たが、物足りなさが残った。ボランティアの説明員用だろう、入口の脇に石油ストーブが燃えていたが、寒々とした土間の印象だけが残っている、、、。(2011年春詠)
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近道を覚えし足に春の泥
路地の多い所は楽しい。新しい道を見つけて抜けると思わぬ所に出ることがある。掲句は岡山駅西口近辺での句、ふと気が付くと靴どころかズボンにまで泥が付いていた。おまけに去年の残りの草の実までも、、、。(2013年春詠)
如月や口縁薄きティーカップ
普段はコーヒーだろうが紅茶だろうが同じマグカップで、サッサと淹れてサッサと飲んでしまいます。もちろんティーバッグはカップに入れたままです、、、。午後の紅茶と言うと何やらCMのようになってしまいますが、たまにはと思い取り出した年代物のティーカップ、テーブルの上の午後の光に、湯気がゆっくりと揺らめいています。縁から下がったティーバッグの紐さえも絵になるようです、、、。(2013年春詠)
春光のまぶしき朝のにはたづみ
だいたい雨上がりの天気の良い朝は眩しいものと決まっていますが、早春のそれは特に眩しい気がします。ちょうど山の上に朝日が顔を出す頃に、東へ向って歩く散歩コースは、アスファルトの道も、道に出来た水溜りも、空気までもが輝いて見え、目を細めても追いつかないぐらいです。特に最近、、、と書きかけて気付きましたが、これって視力の衰え、、、?(2013年春詠)
旧正の餅と届きぬ父の文
気が付けば今日は旧暦の元旦、歳時記では旧正月は春に分類されているが、今年のように冬の間に来ることもある。掲句も句稿によれば冬に記録しているので早かったのだろう。あるいは俳句初心者の頃で、そこまで気が回らなかったのかも知れないが、、、。実家は田舎の古い家だったから、子どもの頃から正月は新旧の二回祝った。そんな訳で家を出て所帯を持った後も、旧正月前には実家から餅が届いた。実家ではそんな事はすべて父の仕事だったので、いつも父の手になる何がしかの手紙が添えられていた。この頃からだったろうか、父が修正液を使い始めたのは、、、。(1997年冬詠)
駅燕あまたの別れ見て育つ
また燕の句です、、、。これは津山駅の燕、久しぶりに早朝の駅頭に立ったときに、見下ろしていた子燕を見て詠んだ句です。この子燕たちは毎日沢山の人を見ているけれど、その中には出会いも別れもあるだろうなあ。出会いと別れのどちらが多いのだろう?別れのほうが駅には似合うかなあ。と、そんな事を考えているうちに、乗車の時刻になりました、、、。(2012年夏詠)
五線譜に残るメモ書暮の春
いろんな事をやって、行き着いたところにあったのが俳句だった。ご多分に洩れずギターもやった。始めたのは中学三年生のときで、ギターも三本も持っていたこともある。田舎に帰ればまだ一本は残っていると思うが、手元にはもうない。もう手は動かないが、楽譜は読める、と、お、も、う、、、。(2009年春詠)
残されし骸のいくつ鳥帰る
ある朝散歩に行くと、川にいる鳥の数が急に少なくなっている。離れ離れに何組かの番は泳いでいるが、昨日まで居た賑やかな団体の姿はなく、静かである。当たり前のことだが、この日は毎年突然にやって来る。「雁風呂」という季語がある。雁は渡りの途中に波間で休むために木片を咥えて飛んで来て、その木片を海岸に置いておく。北へ帰るときにはまたその木片を咥えて飛んで行くので、海岸には北へ帰れなかった雁の数の木片が残っている。その残った木片を集めて風呂をたて、雁の供養とする。というのが「雁風呂」だが、実際のところはどうなのだろう。どれくらいの数の鳥が命を落すのだろう、と、毎年のことながら、少し感傷的になる日でもある、、、。(2012年春詠)
春風を通す国宝あけ放ち
考えてみれば、いつも開け放ってある国宝なんて珍しいのではないだろうか。閑谷学校の講堂、磨かれた床が光を返し、春風が通り抜けて行く、、、。(2011年春詠)
蕗始末古新聞を濡らしつつ
さて、今回のシリーズの終りは、草刈前に採っておいた蕗の始末です、、、。植えたわけではありませんが土手では蕗が採れます。蕗は我家の貴重な食材です。季節感があって美味しいですね。もちろん、採るのも始末するのも私の仕事です。玄関脇に腰を下ろし、新聞紙を広げて、指先を染めながら、、、。サラリーマン時代は、爪のあたりに色を残したままのこの指で、仕事に行ったものでした、、、。<俄仕事-7>(2012年春詠)