ゆらゆらと日のある空を鳥帰る

古い句を整理していたら出て来た句です。仕事が面白かった頃です。たぶん仕事で疲れた眼を癒そうと会社の外に出てコーヒーでも飲んでいたのでしょう。ふと見上げた空に小さくなってゆく鳥の群が、、、。(1999年春詠)

首まはしコキコキ音が鳥帰る

コハクチョウの北帰行が始まったと聞いたのはもうずいぶん前のような気がする。散歩途中で見かける川の鴨たちもそろそろ旅立つのだろうが、もう帰りますと言ってくれる訳ではなく、知らないうちに旅立ってしまう。何だか川が広くなったなあと感じる日が近いのは確かだ、、、。(2016年春詠)

反古焚きのけむり真つ直鳥帰る

鳥たちが北へ帰るのはいつも突然で、気がつけば姿がなくなっている。この時も気づいたのは夕方、土手の上から見下ろす川面に、昨日まで居た鴨の群れはなかった。広い田圃の向うに、反故焚きの小さな火が見え、夕暮れの空へ煙が上っていた、、、。(2003年春詠)

残されし骸のいくつ鳥帰る

ある朝散歩に行くと、川にいる鳥の数が急に少なくなっている。離れ離れに何組かの番は泳いでいるが、昨日まで居た賑やかな団体の姿はなく、静かである。当たり前のことだが、この日は毎年突然にやって来る。「雁風呂」という季語がある。雁は渡りの途中に波間で休むために木片を咥えて飛んで来て、その木片を海岸に置いておく。北へ帰るときにはまたその木片を咥えて飛んで行くので、海岸には北へ帰れなかった雁の数の木片が残っている。その残った木片を集めて風呂をたて、雁の供養とする。というのが「雁風呂」だが、実際のところはどうなのだろう。どれくらいの数の鳥が命を落すのだろう、と、毎年のことながら、少し感傷的になる日でもある、、、。(2012年春詠)