蛇穴を出づ昨日とは違ふやつ

今年は寒暖の差が大きい春だったせいか、ずいぶん早くから蛇の姿を見ました。暖かいからと出てきたら次の日は寒くて、逃げようにも動けないでいる、だからよけいに目に付いたのかも知れません。丸まっていたり、伸びられるだけ伸びていたり、中には折りたたむような形をして日を浴びているのですが、動きが遅いものだからじっくりと観察出来るし、怖くもない。あ、怖くないと思うのは実は早春のこの一時期だけで、蛇は苦手です。今年は数も多そう、今ではほぼ毎日出会います、、、。(2014年春詠)

ぼうたんや幟はためく方に寺

平日のほうが人が少ないだろうと思って出かけた近所のぼたん寺、知った人に遇うことはないだろうと思っていたのに見覚えのある顔、向こうも気づいたようで、どちらともなく近寄って握手を交わしました。かつての会社の同僚でした。彼もすでに退職していて、年賀状で近況を知るぐらいだけだったのですが、何はともあれ元気そうな姿を見て安心しました。ブログ用の写真撮影とのことでしたが、早速送られてきた写真が素敵だったので、チョイと拝借してしまいました、、、。(2013年春詠)

大川に垂れて水漬ける藤の花

散歩に行く吉井川の河川敷公園の水辺に、たぶん工事の際に土の中に混じっていたのだろう、山藤の蔓が育ち、立ち上がるには支えが無いので、ちょうど葛が地を這うような形で、斜面を覆っている。年毎に大きくなり、今では結構見ごたえのある状態にまで育ち、満開の花の側を通ると咽るような香に包まれる。ちょうど川幅いっぱいに水がある場所なので、花は水の中にも垂れ、流にゆれている、、、。(2014年春詠)

七人の小人でさうな蕗の下

記憶に残る本の中に、子供の時に図書館で借りたコロボックルの本があります。物語の内容は覚えていないのですが、日本にいる小人の話で、ずいぶん夢心をかきたてられた記憶があります。その記憶がこの句の下地で、大きく茂った蕗の葉を見ると今でも小人のことが頭をよぎるのです。それでさっきコロボックルについて調べてみたら、アイヌ語で「蕗の葉の下の人」という意味と書かれていた、、、。(2014年春詠)

間延びして春の汽笛の木霊かな

間延びして聞こえるのは気のせいかなあ、いやいや湿気のせいかも知れないなあ。軟らかく聞こえるのは明らかに湿気のせいだろうね。なんて事を考えながら、朝の吉井川の堤防を歩いています。雑音の少ない朝の木霊はずいぶん長く続きます、、、。(2013年春詠)