窓開けて一両電車若葉風

通学通勤で電車やバスを利用した経験は無い。だから利用するとすれば旅行や遠足で、座席に着くと先ず一番に窓を開けていたような気がする。最近は電車やバスに乗ることも滅多に無いが、乗っても空調の効いた車内では窓は開けられない。それでかどうか、毎日眺める我家の傍を走る電車も窓を開けていることは滅多にない。だから、たまたま見かけた電車の風景が句となった。午後の通学時間帯、開いた窓の奥に白いシャツで風を受ける高校生数人の姿が見えていた、、、。(2014年夏詠)

コーチみな美人に見ゆる水着かな

ゴールデンウィーク後半のプールはまるで夏休みかと思うほど子供が多かった。暑いし出かけるのにも疲れたし、でお父さんお母さんにとっては程よいところだったのだろう。ゴールデンウィークが終わった平日のプールは途端に閑古鳥が鳴いている。もっとも泳ぐにはそのほうが都合がよく、常連はそれぞれ重ならないような時間を選んで、いつもの通りに泳ぎ、そしていつもの通りに帰って行く。私が泳ぎ終わるのはいつも3時過ぎで、それからしばらくジャグジーに浸かる。その頃になるとコーチが3時半からのスクールの準備に出てくる、、、。(2014年夏詠)

翡翠の来る川筋にある暮らし

「見てっ!」と言う風に少しだけ鳴いて、あとは一直線に川を渡っていく。川の中央付近で少し高度を下げ、しばらく瑠璃色の背を見せる。「おっ、翡翠」と気づく頃にはもう再び高度を上げ、そのまま向こう岸の茂みに消えてしまう。翡翠は比較的人家に近いところに居るが、警戒心は強く、なかなかじっくりと観察は出来ない。鳥に警戒されないようになれたら楽しいだろうと常々思っているが、なかなか、、、。(2014年夏詠)

よしきりや瀬音高めし昨夜の雨

よしきりを知ったのは中学校の教科書に載っていた「行行子(よしきり)は鳴く/行行子の舌にも春のひかり」という草野心平の富士山の詩の一節でしたが、私の育った田舎によしきりの飛来はなく、その鳴声から付いたという行行子の名前も、知識として興味を持っただけでした。それが、今の住所に移って数年後のある年に、突然吉井川の中州から聞きなれない「ギョッ、ギョッ、シ、ギョッ、ギョッ、シ」という声が聞え始めたのです。「あ、これがよしきりだ」とすぐに分かりました。それから毎年、この声を聞くと、草野心平の詩を思い出してうれしくなります。心平の詩は春ですが、俳句では夏、この辺りではちょうど夏に合わせたように聞え始めます、、、。(2014年夏詠)

命あるものに幸あれ聖五月

歳時記で聖五月の項を見ると、カトリックでは五月は聖母マリアを讃える月と書いてある。そこから聖五月、あるいは聖母月という季語になったのだろう。五月は生命力に溢れている。命あるものはみな美しい、と思えるようになりたいが難しい、、、。(2014年夏詠)

緑蔭を洗ひて川の速さかな

夏になると用水の水量が増えるのは田植の準備のせいだろうと思う。掲句は例によって西川緑道公園での句で、この川が直接田圃と関係があるのかどうかは知らないが、初夏の頃は水量が増える。もともと水量は川幅いっぱいあり豊かなほうだと思うが、それがさらに増えてとうとうと流れる様は気持ちが良い。両岸の木々も緑が濃くなり川面に影を落としている、、、。(2014年夏詠)

オカリナの止めばのどけし昼の鐘

オカリナの合奏が終わったときに、偶然どこからかお昼の鐘が聞えてきた、という岡山西川緑公園の街角コンサートでの句です。子供の頃の田舎には各家に有線放送の設備があって、決まった時間になるとラジオの番組が流れてきました。代表的なのが日曜日のお昼のNHKのど自慢で、その鉦の音は今でも耳に残っているような気がします。それも合格の鉦ではなく、二つとか三つ鳴るときの絶妙の間合いは、最高だったなあ、、、。(2013年春詠)

外来種まじりて亀の鳴きにけり

倉敷のアイビースクエアの隅のほうに小さな池があり、たくさんの亀がいる。狭い岩場が作ってあって、春先には亀たちがぎゅうぎゅう詰めになって日差を浴びている。遅れをとった亀が、その日を浴びている亀の上に上ろうとするのだが、上手く足がかからず、途中まで上ってはごろごろドブンと落ちてしまう。それでも懲りずに、何度も何度も上っては落ちている。そのごろごろドブンの時の音がなんだか悲鳴のように聞え、本当に亀って鳴くのかも知れないと思った。掲句は別の場所の亀で、アイビースクエアの池には外来種は見当たらなかった、、、。(2014年春詠)