昨年の今日、倉敷阿知神社の能舞台の景です。何でも受け入れる、いかにも日本的ですね。心ホッコリ、メリークリスマス、、、!(2021年冬詠)
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人去りて草生ふ一戸クリスマス
昨年、たまたま句会の日と重なったクリスマス。その道中の山路でみかけた空家、、、。(2020年冬詠)
クリスマスツリーの奥のクリニック
一年が早いですね。今年一番早かったのはプールへ行く途中にある民家の玄関の大きなクリスマスリース。ハロウィンの前だったので、てっきりその飾りだろうと思っていたら、 ハロウィン が終わってもかざってある。よく見ると金色のベルやら深紅のポインセチアが、、、。(2020年冬詠)
病む事の日にち選ばずクリスマス
予兆無しに倒れたのは愛犬、これは明日まで持たないかも知れない、と思ったのはこの日が初めてでした。半ばあきらめて、翌朝恐る恐る起きだして見ると、なんと復活していました。それも前より元気に、、、。それから亡くなるまでの七か月、大変だったけれど、私にはよい経験になりました、、、。(2018年冬詠)
クリスマスリース引戸の真ん中に
純和風の家の玄関引戸の真ん中にシンプルなクリスマスリース、いつも見かける四季折々の飾り付けの一つだが、上手いもんだ、いったいどんな方住まわれているのだろうと思いながら通る、、、。(2017年冬詠)
教会の木椅子の硬しクリスマス
考えてみれば本物の教会へ行ったことは一度しかない。それもクリスマスではなかった。下宿していた友人の家のお姉さんがクリスチャンで、収穫祭の教会へ連れて行ってくれた。下宿していた場所も田舎だったが、その教会も、どうしてこんなところに?と思えるような農地が広がる中にポツンとあるちいさな古びた建物だった。お姉さんと、友人と、私と、一緒に下宿していたもう一人の友人と。お姉さんを除く我々は、けっして敬虔な心など持ち合わせていなくて、ただただ美味しいものが食べられるとの言葉につられただけだった。教会に集まった皆さんはどの方もとてつもなく優しかった。細長い机と硬い木の椅子、暖かい薪ストーブ、収穫に感謝し、讃美歌を歌い、そして最後にパンと鳥の足のささやかな食事が出た。鳥は鶏だったのか七面鳥だったのか、とにかく飢えた若者たちが敬虔な気持ちになるには十分な美味しさだった。この次はクリスマス、のはずだったが冬休みに入るとさっさと帰省し、次の年の春には下宿を離れ学生寮に入ったので、二度と教会へ行くことはなかった、、、。(2002年冬詠)