秋時雨さつさと仕舞ふ老釣師

何度か登場していただいた老釣師、久しぶりにその姿を川向うに見つけた。声をかけるには川幅があり過ぎるので会釈だけして通り過ぎた。少し行ったところで、そんな空ではなかったのに、いきなりパラパラと降ってきた。もう時雨の季節。そう続くとは思わなかったが急いで散歩を切り上げた。雨はものの五分も続かなかったが、通りがかりに川向うを見るともう老釣師の姿はなかった、、、。(2015年秋)

石臼の飛石六つ秋時雨

大原美術館の本館と分館の間にある新渓園、美観地区側にある小さな門を入ったところに粉挽き用の石臼を使った飛石がある。門に合わせて小振りの石臼を六個並べてある。表面の磨り減ったふくみ(隙間)の線が雨に濡れている、、、。さて、いよいよ今夜(と言うか明日の朝)にはラグビーワールドカップ日本アメリカ戦がある。どうかもう一度良い夢を、とOLDファンは願うのみです。もう十分に見させてもらってはいるのですがね、、、。(2014年秋詠)

秋時雨山湖に影を走らする

倉敷の句会へ国道429号線を通って行くと、旭川ダムのほとりをしばらく走ることになる。ダム湖には四季折々の表情があり良い句材なのだが、なにせ運転中なのでじっくりと見てという訳にはいかない。瞬間的に眼に入った景を脳みそに焼き付けておき、ちょっと広い場所に車を止めて俳句帖に書き留めるような事を繰り返す。たぶん脳みその老化防止には役立っているのではないかと思う。掲句はそんな中の一句、、、。(2014年秋詠)

秋時雨来るたび庭師車へと

あれ、もう北風だ、と思ったら「木枯一号」だったらしい。一転して今朝は澄んだ空に朝日が輝いている。風は無いが、ちょっと寒い。庭を見るとたくさんの落葉、とうぶんは日々の仕事に困らない、、、。掲句はまだ現役の頃、会社でお願いしていた植栽の管理、自分たちの車のほうが居心地が良いのだろう、雨が降り出すたびに車の中へ、、、。(2010年秋詠)

秋時雨音なく露台染まりけり

小高い丘の上にあるレストランの部屋からは、バルコニーと遠く中国山地の山並が眺められた。普段は使われないのであろうバルコニーには、畳まれたパラソルや生ビールの樽が、テーブルと一緒に夏の名残りのように片寄せて置いてあった。句会が終わり、隙間のような時間が過ぎていた。ぼんやりと目をやっていたバルコニーに、急に影が走ったような気がしたと思ったら、テーブルも床も黒く染まって行った。(2010年秋詠)

車まで母の差す傘秋時雨

実家を出ようとすると雨が降っていた。車までは十メートルほど、濡れてもたいしたことはない距離だったが、母の出してきた傘に、半分ほどはみ出しながら入れてもらった。まだ母は元気だった。父も母も家を出る時は必ず見送ってくれた。見送ってくれる笑顔の奥に寂しさが見えて、こちらまで寂しくなるのだった。今は自分がその立場になって子どもたちを送っているが、子どもたちには同じように見えているのだろうか。早めだが今日は母の一周忌。(2001年秋詠)