酷暑なる空襲跡の煉瓦塀

掲句、岡山市の南方保育園の道路沿いにある、70年前の岡山空襲で焼け残った煉瓦塀です。今日6月29日は、70年前にその岡山空襲があった日です。当時私の母は天満屋に勤めていましたが、たまたまその日は休んで実家へ帰っていて助かったそうです。それはたまたまで、もし母が休んでいなかったら、私がこの世に生まれることは無かったのかも知れません。戦後70年、もう一度戦争を経験された方々の声に耳を傾けなければならない時期です、、、。(2014年夏詠)

「酷暑なる空襲跡の煉瓦塀」への2件のフィードバック

  1. 偶然というか運命というか、そういった事で人生が大きく変わる事はいろいろ有りますがお母様は休暇で良かったですね。
    私の父は当時広島に住んでいて8月6日は勤労奉仕で三菱の造船所に居たそうです。
    原爆の爆風はそこまで及んだそうで恩師は飛んできたガラスの破片で片目を失明されました。
    父も脛にガラス片が刺さり血を流したそうです。
    勤労奉仕で爆心地から離れたところに居たから命は助かった事になります。
    そうで無ければ私もこの世に生まれる事は無かった事になります。
    お互いに良かったですね。

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