牛小屋の跡の更地や実南天

南天の句をもう一句。木山神社に初詣に行くようになっておよそ25年ほどになります。行き始めた頃には参道脇のお家に注連飾りをした牛小屋があって、奥の暗がりに暗がりと同じような色の和牛が鳴いていました。その牛がいつしかいなくなり、注連飾りと牛の匂いだけの牛小屋を見て帰る年が何年も続きました。それが昨年、その牛小屋が跡形もなく無くなっていたのです。それも更地になって間がない土の色でした、、、。今年は、土の色が周囲と同化して、私のように牛小屋の匂いを楽しみにしていた人間でなければ、そこに牛小屋があったなんて分からなくなっていました。傍らの南天は今年も元気そのもの、葉も実も、、、。(2017年冬詠)

南天の葉までも赤し寒の入

小寒です。南天にもいろいろな種類があります。葉が赤くなるのも種類によるのかと思うのですが、この時季に赤くなった葉を見ると、何だか寒さに耐えて赤くなっているような気がして、こちらまで寒くなってしまうのです、、、。(2017年冬詠)

寒林に隙間朝日の透りくる

木山神社での句です。初祓を待つ社務所の温かい部屋から、裏山の雪の残る杉林が見えます。鬱蒼と茂っているのですが、その中にも隙間があるのでしょう、一所だけ明るく朝日の差している場所がありました、、、。(2016年冬詠)

日矢下りてあらたかなりし初社

毎年の初詣、落合の木山神社での句。長い石段を登り、鳥居をくぐると正面に社殿が少し見上げる形であります。やれやれと思って見上げた時に雲の間から日矢が二すじ社殿に下りて来ました。なんだかありがたい物を見たような気分でした、、、。(2017年新年詠)

御慶まづ交はす深山の明烏

明けましておめでとうございます。いかに平凡な日々かと分かるような昨年の元旦の第一句です。でも考えてみれば平凡が一番、また一年マイペースで歩んでいきたいと思います。本年も変わりませずよろしくお願いいたします、、、。(2017年新年詠)

寺に鐘社に太鼓年送る

夜には近所の神社からは太鼓の音が、少し離れた寺からは鐘の音が聞こえてきます。その音を聞きながら、また一年が過ぎてしまったと反省するのです。皆さまはどんな一年だったでしょうか。私は良い事も悪い事もあった一年でした。まあ悪いと言っても、年末になってお風呂のボイラーが壊れ、四五日お湯の無い生活を体験したぐらいの事ですがね。それでは良いお年を、、、。(2016年冬詠)

一群に一羽見張の鴨の声

煤逃げの散歩に行くと穏やかな日差しの師走の広い川面にいくつもの鴨の群があります。隅っこのほうには浮寝のグループが静かに浮いていますし、賑やかに遊んでいたり、羽の手入れをしていたりするグループがあります。観察すると、ところどころに見張役の鴨がいて、一定間隔で声を出しています。その声の調子が近づいて行くと次第に強くなるのです。離れて行くとまたのんびりとした調子に戻って行きます。なるほどなあと思うのです、、、。(2016年冬詠)

柏手の頭上に青き注連飾

昨年12月22日、倉敷阿智神社での句です。一か月前には境内のテントの中で作られていた注連縄がこの日にはすでに飾られていました。新しい藁の青い色と匂い、いいですね。注連飾は新年の季語ですが一足お先に、、、。(2016年冬詠)