冬晴や渡る気のなき交差点

田舎の交差点は車と一対一になることが多いので、青信号の交差点に立って考え事をしていると、車の人に不審がられますが、その点都会はいいですね。お互いに無関係な関係で、、、。もちろん考えているのは、控えている苦会、いや句会のこと、、、。(2010年冬詠)

地に還るものを眠らせ大枯野

二週間ほど前になりますが甥の結婚式で久しぶりに大阪へ行きました。翌日高速バスの待合室で時間をつぶしていると、道路の向こう側の歩道を散歩する黒ラブの姿が見えました。離れていたので犬が黒ラブであること、連れているのが私と同年輩の男性であることぐらいしか分かりませんでしたが、いつものコースなのでしょう、どちらも慣れた足取りで通り過ぎて行きました。まるで我家と同じだと思ったのですが、ふと歩くところがまるっきり違うことに気づきました、、、。(2013年冬詠)

寒雀パンのかけらを確かむる

散歩の途中の土手の舗装路に雀が降りてきた。見るとパンの耳らしき物を銜えている。初めて貰った物か、一端路上に置いて首をかしげながらつついてみている。近づくと銜えて数メートル先まで飛んでいき、また同じことをしている。それを二三回繰り返すと、やっと私が行く方向に逃げていることに気づいたのか、道から外れて田んぼのほうへ飛んでいった、、、。(2013年冬詠)

どの家の犬も引つこみ寒四郎

寒四郎は寒に入って四日目に降る雨を言うのだそうで、室戸の句を書いているうちに四日目を過ぎてしまいました。掲句も四国での句、寒の雨が冷たいのは四国でも津山でも同じこと、ましてまだ満足に暖房設備不の整っていない事務所では、、、。(2011年冬詠)

冬の灯の笑ひ声する納経所

これも一番札所霊山寺での句です。本堂を見学していると笑い声が聞こえてきました。見ると、本堂の右手に部屋があり、明りが灯っています。納経所でした。新米のお遍路さんに何やら説明されているのでしょう、時々笑い声が混じる、優しそうな話し声がしていました。本堂の薄暗さと、納経所の暖かそうな灯の色の対比が印象的でした、、、。(2011年冬詠)

寒雲の速し風鐸鳴る空に

さすが一番札所、これから遍路を始めるふうな方を大勢見かけました。霊山寺は平地にあるお寺で、ここから始まるお遍路の、待っている厳しさなんぞ、微塵も感じられませんでした。と言えば叱られるかもしれませんね。風の強い日で、大きな音に視線を上げると、多宝塔の風鐸が風に揺れて鳴っていました。塔の指す空には走るように流れる寒そうな雲がありました、、、。(2011年冬詠)

待春の顔の優しき仁王像

昨日で十句終わりましたが、ついでに四国での句を少し書きます。掲句は別の日に一番札所霊山寺へ寄道をした時の句です。仁王門の無いお寺もありますが、あればお寺で最初にお目にかかる仏像が、阿吽の形相で門を守る仁王様ですね。霊山寺には立派な仁王門があり、その門の前には、一番札所らしく遍路姿の人形が立っていました。仁王様は、こちらの心の持ちようかもしれませんが、ちょっと愛嬌のある優しい顔をされていました。霊山寺は、「れいざんじ」と読むのかと思ったら「りょうぜんじ」と読むのでした、、、。(2011年冬詠)

鐘一つ鳴れば冬日の零れ落つ

「室戸」その10 これで十句終わりです。八十八箇所めぐりのお遍路なら結願ですね。掲句は最御崎寺での句です。今更ですが最御崎寺は「ほつみさきじ」と読みます。四国に居る間に十箇所ぐらいの札所寺を巡りましたが、一番気に入ったのがこの最御崎寺です。中には商業一筋と言った感じでがっかりする寺もありました。最御崎寺は室戸岬の灯台より少し高い位置にあり、灯台までは降りられないのですが、行き止まりにあるフェンスの位置からは灯台の周囲に植えられた水仙がきれいに咲いているのが見えました。四国での勤務を終える少し前、ちょうど今頃の一人吟行でした、、、。(2011年冬詠)

御厨人窟の闇より一羽寒鴉

「室戸」その9 前述の虚子の句碑から遠くないところに空海が修行をしたという御厨人窟(みくろど)という洞窟があります。ちょうど車から降りた時に、その洞窟の闇の中から鴉が一羽飛び出して来ました。たぶんお供えでも頂きに来るのでしょう。しばらくは洞窟の上の崖に張り出した松の木の枝に留まってこちらを伺っていましたが、何も持っていそうに無いと思ったのか、何回か鳴いて飛び去って行きました。本当に修行をしたのかどうかは分かりませんが、それほど深くは無いその洞窟に座ると、ちょうど荒れた海と冬の空との接点が見えるのでした。と言うか、しか見えないのです、、、。(2011年冬詠)