伸ぶるだけ伸びて土筆の痩せにけり

今年も土筆のシーズンになりました。手はかかるけど美味しいですね。採ろうかな採ろうかなと思っているうちにこんな風になってしまった会社の正門脇の植栽の中の土筆。遊休地だらけの会社でしたので、土筆はそこらじゅうに生えました。で、時々昼食時に、「会社の土筆、食べます?」と、ちゃんと料理したものを頂きました。「いつ採ったの?」なんていう野暮な詮索はもちろん無しです。(2011年春詠)

春の海浚渫船の重さうに

十二月、一月と退職までの二ヶ月間を阿南(四国)で過ごした。普段は山の中で暮らしているので、とにかく海を見ておこうと思い、行き帰りには暗くても必ず与島パーキングエリアに立ち寄り海を眺めた。平日の朝は海の見える阿南公園に登った。天気が良さそうだからと、休みをとって室戸岬まで走ってみたりもした。そんな中で手帳に書きとめた句、すなわち冬に出来た句。満を持して句会に出したら先生に「一読して<海凍てて浚渫船の重さうに>じゃないかと思いました。」と言われてしまった、、、。慰めの言葉はいらないのです。スミマセン反省しています。げに恐ろしき俳人富阪宏己先生。(2012年春詠)

旅鞄かかへて眠る鳥曇

岡山駅二階コンコースでの風景。子どもを試験か何かで岡山へ連れて行き、空いた時間に駅を一人吟行。岡山駅も駅周辺も今は変っていると思うが、最近は利用する機会もなくご無沙汰。子どもを連れて行くことも無くなった。渡り鳥はどうやって帰る時季を判断するのだろう。俳人は春になれば待ってましたと「鳥帰る」や「鳥曇」を使うのですが、、、。(2002年春詠)

寄り添ふて水脈ひとつなる残り鴨

いつ帰るのだろうかとやきもきしているうちに、ある朝突然に居なくなっていることに気付く。残った番の鴨が寄り添って水面を滑っている。どんな理由で帰る鴨と残る鴨に分かれるのだろうか。残っているのは前から二羽だけで行動していた鴨だろうか。なんてことを考えたりするが、帰った鴨も残った鴨も同じ顔で見分けがつかない。寂しさのある季語と思う。(2008年春詠)

上ばかり見てつまづきぬ花の下

倉敷酒津吟行句。酒津へは小学校の遠足で行ったきりで、土手を越えた記憶と、ぬかるんだ道があった記憶だけで、風景などは全く覚えていなかった。たぶん当時とはそうとう変っているのだろうと思いながら歩いていたら大きな石碑があった。う~ん、かすかに見たような記憶が、、、。散りかけた桜に見とれていたら走り根に躓いてしまった。(2009年春詠)

たうたうと春の水吐く土管かな

会社までの徒歩20分の距離は句作にはちょうど良い距離だった。田圃の側を通り、国道を渡り、また田圃の側を通る。住宅地に入りしばらく歩くと数メートルほどの路地がある。ここを抜けるとまた国道に出、信号を渡る。ガソリンスタンドの側を通り、高速道路のガードをくぐると会社だった。田圃の脇には用水が流れ、四季それぞれの様相を見せる。そんな一こま。そろそろ田圃のシーズンが始まる。(2011年春詠)

花筵昔べつぴん足さする

足守、近水園(おみずえん)、初めて合歓の会に参加させていただいた時の句。俳句をお休みして5年ほど経っていた。読売新聞の俳句欄にH女史の名前を見つけた私は迷うことなくメールを送った。ほどなく返事が来て、何度かやり取りをしているうちに合歓の会へ誘われるようになった。とうとう断れなくなって出かけたのがこの日だった。H女史との再会、そして先生を始めとした合歓の会のそうそうたる皆さんとの出会い、それが今に続いているのです。縁って不思議なものですね。(2008年春詠)

入学の子に青空の新たなる

学校行事と言えば私の仕事だった。掲句は下の子の中学校入学式での句。校舎のある高台へは臨時駐車場のぬかるんだグランドへ車を置き、長い石段を登って行く。ふと見上げると清々しい真青な空があった。まるで子どもたちの新しい学校生活を祝福するかのようだった。こんな時代もあったんだ。(1999年春詠)