家出猫戻らず三日春の雪

夜出してやると朝には戻って窓のところで待っている。「ゆき」はそんな猫だった。何日か帰らないことは前にもあったが、それが猫の習性と理解していた。しかしその時は違った。一日目から変な予感がして、通勤の途中に姿を捜したりした。次の日も帰らず、三日目の朝が雪となった。大きな春の雪がしきりに降っていた。なぜだか解らないが、もう帰ってこない。ふっとそんな気がした。(2011年春詠)

薬師寺の塔の頂鳥交る

妻のお供のバスツアーで奈良に遊んだ時の句。梅が盛りを過ぎた頃だったが寒かった記憶がある。薬師寺の東塔の上から二羽の雀が賑やかに、縺れるようにして落ちてきた。下まで落ちるのかと思うと何層目かでするりと反転し、また上のほうへ飛んで行った。(2001年春詠)

光りつつ解けつつ白く別れ霜

今朝の風景。霜が降りた寒さの中にお彼岸らしい空が広がっている。実際は五月の連休ごろにも霜が降りることがあり、猫の額ほどの家庭菜園に植えた野菜苗が被害を受けることがある。その頃の霜を別れ霜と言うのだろう。まあ、季節を先取りするのが俳人だから、許されるかな。(2012年春詠)

うたたねの父のおとろへ春時雨

今日3月18日は父の命日。年末に入院、肺炎ということなのに一向に良くならない、おかしいなと思っているうちに病院から呼び出し、肺癌で余命一ヶ月と告げられた。掲句はその一ヶ月目ぐらいの頃の句。まだ差し迫った感じはなかったが、痛み止めの薬のせいか無防備に眠る父を見るのは辛かった。病室の明るい窓を春時雨が打っていた。(2003年春詠)

食堂に若芽売り来て磯香る

社員食堂には実演販売や物売りの類がよく来た。若布売りもその中の一つである。食堂の丸椅子に着くとすぐに用意してあったスチロール製の小さな容器が配られる。中にはポン酢を垂らした深緑色の若芽が入っている。口に運ぶと若布の香りと一緒に海の匂いがする。美味。ほんの半口ほどしかないこの味につられて、おばちゃんたちは次々と大量の生若布を買うことになる。(1999年春詠)

初蝶のまだ飛べずゐる庭の冷

今年はいつまでも寒い日が続く。庭に置いている浮球に一匹の蝶がとまっている。今日で三日目になる。春になって初めて見た蝶が初蝶なら、これが初蝶。初蝶の持つイメージの華やかさからはほど遠く、同じ場所で同じ形でじっと耐えている。(2012年春詠)

春雪や単線電車灯し来る

真冬に降る雪よりも春の雪のほうが記憶に残るのはそのはかなさからだろうか。掲句は姫新線の院庄駅と美作千代駅との間、降りしきる雪の中を、前照灯を灯した電車が大きくカーブしながら近づいて来るのが見えた。まるで映画のワンシーンを見るようだった。※姫新線は電化されていないので、本当はディーゼル車です。(2000年春詠)

春の堰マイナスイオン溢らしむ

我家から吉井川沿いに下って行くと嵯峨井堰に出る。ちょっと長めの散歩に良い距離で、休日にはここまで歩き、堰を見て帰途につく。堰は四季を通じてさまざまな顔を見せる。冬は水量も少なく乾いた堰堤が顔を見せているが、春になると中国山地の雪解け水も加わり一気に水量が増える。水は堰堤に沿って滑らかな曲線を描き、一枚の白布のようにも見える。そして大きな音と共に落ち込んでいく。限りなく飛沫が上がり、限りなくマイナスイオンが生れているように感じる。深呼吸をし、水の匂いと共に、マイナスイオンを思いっきり吸い込む。写真は時季的にはもう少し遅く、川向こうの桜がきれいな頃のへたくそな一枚。(2011年春詠)