少年のことごとく打つ曼珠沙華

初心の頃の作。徒歩通勤の途中の畦道に咲いていた彼岸花が、ある朝ことごとく折られその場に散乱していた。少年の頃の自分も同じようなことをした記憶がある。すっと立った彼岸花は折れやすく、折れると少し苦いような匂いがした。少年のストレス解消には絶好の材料だった。大人からは毒があるから触るなと言われ、墓地に多く咲く花に、けっして良いイメージなど持てなかった。そんな彼岸花を美しく思えるようになったのは俳句を始めてからのことだ。(1998年秋詠)

灯を落し生家まつくら虫時雨

ひと通り片付けを済ませ、生家を出ようとした時はもう夜中だった。「先に出てよ」と兄弟たちを外に出し、順番に灯を落していく。「いい?消すよ」声をかけて玄関の灯を落すと、途端に真っ暗闇になった。手探りで玄関に鍵をかけ、「お疲れ様」と兄弟たちを送る。順番に車が発車してしまうと、一人虫時雨の闇の中に取り残されてしまった。周囲に家が無いわけではないが、人の居ない家はほんとうに暗い。車まで、また手探りで虫時雨の中を歩いた。(2011年秋詠)

秋風や石灰岩は骨の色

井倉洞吟行<その8>句会の後はしばらく風景を堪能、その後駅まで皆さんをお送りして解散となりました。私はついでに「絹掛の滝」に寄り、お不動様にお参りして帰りました。帰りは方谷から北房へ山道を抜けましたが、山の中の田圃は稲刈りの真っ最中でした。これで井倉洞吟行は終わりです。お付き合いありがとうございました。-終わり-(2012年秋詠)

落鮎の口のへの字に焼かれけり

井倉洞吟行<その7>昼食は予約しておいた写真の鮎定食です。串焼きの鮎を丸ごと齧るのも久しぶりでした。美味しかったです。普段の句会では、皆さん昼食もそこそこに俳句モードに入られますが、今回はゆっくりと鮎を味わっておられました。同じテーブルでの句会は、終わりまで鮎を焼く匂いに包まれていましたが、充実したひと時を過ごすことが出来ました。お店の方にも感謝です。-続く-(2012年秋詠)

生るるごと洞より出でし秋の昼

井倉洞吟行<その6>さて、入洞組三人は一つでも多く句材を拾おうと、足も遅く(運動不足もありますが)、広場があれば忘れないうちにと手帳を広げたりするものですから、結局吟行の一時間を洞の中で過ごしてしまいました。先生が足を滑らせるという危ない場面もありましたが、事無きを得、無事に地球の胎内から生還したのはちょうどお昼でした。橋の上から眺めた高梁川の河岸に彼岸花が数本咲き始めていました。-続く-(2012年秋詠)

億年のしずくとなりて滴れり

井倉洞吟行<その5>夏の季語になりましたが、ここにこれ以上の季語はないでしょう。鍾乳洞を見るたびに悠久の時を想います。一滴一滴の積み重ねが、やがて億年の時を経てこの鍾乳洞を造り上げ、さらにその滴りは未来へと繋がっていくのです。私が眺めているのは、その途方も無い時の流れのほんの一瞬なのだと、そんなことを想うのです。-続く-(2012年秋詠)

洞穴に入りて恋しき秋暑かな

井倉洞吟行<その4>井倉駅で先生、美女三人と合流、再び井倉洞まで歩きました。井倉洞では先に昼食と句会の席を予約した後、入洞組と残留組に分かれての吟行となりました。私は入洞組で、久しぶりに地底の冷気を体感しました。予想はしていましたが、Tシャツ一枚の身体には十分な寒さで、外の暑さが恋しく感じられました。-続く-(2012年秋詠)

秋雲や確かに地球まはりけり

井倉洞吟行<その3>草間台地から県道を井倉洞近くまで下りると、途端に峡谷らしい風景になります。切り立った石灰岩の岩肌の裾を、洗うようにカーブして高梁川が流れ、ちょうどそのカーブしたあたりに井倉洞の入口があります。駐車場に車を置き、集合場所の井倉駅まで歩きました。昔から賑やかな町ではありませんでしたが、いっそう寂れたような印象を受けました。駅前の色褪せた「歓迎」のアーチの下で、山上を流れて行く雲を見上げていると、こんな句が出来ました。-続く-(2012年秋詠)

天高し四方が山の底に立ち

井倉洞吟行<その2>駐車場の近辺にはまったく人影が無く、やめたほうが良いかなと思いましたが、案内板に300mと書いてあるので意を決して行ってみることにしました。行き着いたところにあったのが写真の洞門です。かつての鍾乳洞が崩落し、一部が残った物だそうです。山の底です。「天高し」などと詠んでいますが、怪しい物音はするし、何かあったら帰れないなと、内心はヒヤヒヤしていました。これが第一洞門、案内板によると第四まであるようです。もう一度、今度はしっかり準備をして行って見たいところです。「羅生門」についてはネットで出てきますので検索してみてください。-続く-(2012年秋詠)