冬木立賢治自筆の農日誌

宮沢賢治の詩「永訣の朝」にある(あめゆじゅとてちてけんじゃ)がなぜか好きで、この一節だけを覚えています。死に瀕した妹とし子が賢治に「雨雪をとってきて」と頼む岩手地方の方言のようです。実際にはどのように発音するのかわかりませんが、何となく兄と妹の心のつながりが感じられる一節で好きです、、、。(2002年冬詠)

残菊へ日差かたむく杣の家

急峻な山の斜面を削った僅かな平地に、山を背にして杣の家はある。家の前に狭い庭があり、その先はまた切り立った石垣となっている。覗くと足がすくむ高さだが、ギリギリの所に植えてある小菊の群と、それを倒れないように守っている杭と横に括った細い竹が、防護柵の代わりとなっているだけだ。夕日は谷を隔てた向かい側の山に沈んで行く。山の日暮は早い、、、。(2002年冬詠)

裏藪の小さき日だまり真弓の実

借家住まいをしていた頃、大家さんのところに行くと「真弓の木を貰って植えたんだけど、何年たっても実がならないの。抜こうと思うんだけど要る?もしかしたらもう少し大きくなれば実がなるかも知れないわよ」「はい」ということで我家に来た真弓は引越してからも持ってきて庭に植えたが、結局何年たってもならなかった、、、。掲句の真弓は、作句の年に裏の土手の竹薮で見つけた自生の真弓、木は小さいけれど、秋の日溜の中で赤い実がきれいだった、、、。(2002年秋詠)

縄電車さくら紅葉を両側に

我家の子どもたちが小学校に通っていた頃も、町内の子どもの数は少なかった。以後、減少するばかり。滅多に子どもを見ることがない、、、。掲句、散歩の途中の桜並木の土手で、久しぶりに見た縄電車、乗客の数は少なかったが、、、。(2002年秋詠)

プレハブの組合事務所ちちろ鳴く

社歴からも建てたときから中古だったのだろうと思われるプレハブの組合事務所。夏は暑く冬は寒い。入口の引戸からしてまともには開かない。閉めれば斜めに閉まって隙間が開く。入れば今にも抜けそうに軋む床。背もたれの破れた壊れかけのパイプ椅子。インクの匂う輪転機と山積みされたビラ。紫煙の渦、、、。入社したのはまだ組合活動華やかなりし頃だった、、、。(2002年秋詠)

風通るカルスト台地蕎麦の花

新見市の草間台地は吉備高原にあるカルスト台地で、国道313号線から急峻な坂道を登ったところにある。坂は急峻だが、登ってしまえば広々とした台地に蕎麦畑が広がっている、、、。入社したての頃ここに小さな外注工場があった。農家の牛小屋を改造した作業場で、近所の女性を集めて電気製品のプリント基板を組み立てていた。ラジオ放送を流しながら、話し声が絶えない仕事場だった。そこに指導に行くのだが、お昼には近くに食べるところが無いからと、母屋で社長の家族と一緒に手料理をご馳走になった(社長、お爺さん、お婆さん、社長の小さな子どもたち、それに従業員の一人でもある奥様、、、)。作業場の外には大きな柿の木があり、その下が駐車場になっていた。夕方仕事を終えて帰ろうとすると、車のフロントガラスに大きな熟柿が落ちて潰れ、四方に散っていた、、、。(2002年秋詠)