廃校の跡の裸婦像夏兆す

以前から車で走っていて見える道端の裸婦像が気になって、きっと廃校の跡なんだろうと思っているのですが、止まって見ていないので、本当のところは分かりません。像の力強い印象と周囲の風景から何となくそんな感じがしています。山の中です、、、。(2010年夏詠)

鐘ついて春の寒さを払ひけり

倉敷市の安養寺での句、朝は寒かったなあ、大きな鐘の音に身体の底のほうがぶるぶるっとして、とたんに寒さが逃げていったような気がしました。紅を通り越した黒のような色の椿がきれいでした。それと鶯の正調のホーホケキョの声も見事でした。鶯の鳴き声にも訛りがあることに気づいたのがこの日でした、、、。(2010年春詠)

内臓の重たし眠し春の風邪

たぶん会社で仕事中に詠んだ句でしょう、こんな句が、、、。退職してプール通いを始めて2年が経過しました。学生時代の部活よりも真面目に通っています。おかげさまで退職前よりもずいぶん元気になりました。退職前はいろいろと衰えを感じることが多かったのですが、その多くはプール通いで解消しました。風邪もひかなくなったようです、、、。(2010年春詠)

春疾風駐輪場をかけぬけし

掲句は2010年の作ですが、それよりもずいぶん前の話です。再開発で岡山駅前もずいぶん変わりましたが、まだ変わる前の駅前でのことです。道路わきにところ狭しと自転車が置かれていました。邪魔になるなあと思って見ながらあるいていたちょうどその時に、後から強風が駆け抜けて行きました。と同時に自転車がバタバタと将棋倒しに倒れてしまいました。あっという間の出来事で、ちょうど自転車を置いて離れようと手を離した男性が、自分の自転車を押さえることも出来ないほどでした。確かその日の夕方のニュースで春一番が吹いたと、、、。(2010年春詠)

誰も居ぬ夜の会議室室の花

さあ、そろそろ戸締りをして帰ろうかと、一人取り残された会社の廊下へ出た。ドアの開いた会議室の前を通ると佳い香りがしてきたので覗いてみると、明かりが消えた部屋の窓際に花が飾られていた。その一角が、カーテン越しに入るわずかな外光を背に、妙に近寄りがたい厳かな雰囲気を漂わせていて、覗いた瞬間に心臓が止まるほどドキッとした、、、。(2010年冬詠)

蕗の薹ひとつふたつが良かりけり

一月の終わりに道の駅に寄ると蕗の薹が売られていました。いくらなんでも早すぎると思いましたが、どこ産とも確かめないで帰ってしまいました。たぶん農家で栽培された物なのでしょうね、、、。我家の裏の土手にも少しですが出てきます。少しですからありがたく頂きます。少しでも十分に春の味がします、、、。(2010年春詠)

踏みしめて雪道我を突放す

北国では雪を踏み固めて通路を確保する。この作業を雪踏と言うそうだ。雪が少ないこの辺りには必要ない作業だが、降った雪が溶けずに通行人の足で踏み固められることはよくある。これは油断禁物、危ない。若いうちは転んでも笑って誤魔化せたがこれからはそうは行かない、、、。と、ここまで書いて十日前の句「ふみしめて土やはらかき霜のあと」(2013年、退職一年後の句)を思い出した。今日の句はまだ現役の気概があった頃の通勤途中の句、、、。(2010年冬詠)

着ぶくれしまま耕人となりにけり

例えば埋めてある大根とか、あるいは白菜かほうれん草かも知れない。掘り起こして持って帰るだけ。ちょっとだからと炬燵から出てきたそのままのような恰好、でありながら肩に鍬を担いで畑へむかう姿は、まぎれもなくプロのものだった、、、。(2010年冬詠)

川普請しるしの紐の新しき

河川工事は水量の少ない冬に行うことが多いからだろう、「川普請」という冬の季語がある。もっとも今時「川普請」などと言うのは俳人ぐらいのもので、ほとんど死語と言っても良いだろう。年度末が近づくこともあるだろうが、確かにこの時期になると工事が増える。散歩コースにある古い用水のコンクリート化の工事も、どうして一度に行わないのかと思うぐらい短い距離を、何年もかけての工事が続いている。まずは工事の範囲を示す新しい白い紐が張られるのだが、それを見る度に「またこれだけか」と思ってしまう、、、。(2010年冬詠)