既視感(きしかん)と言われるものがあります。初めての場所なのに、前にも来た事があるように感じたり、初めての事を前にも経験したような気がするような事です。ちょっと違うかも知れませんが、私の場合風が吹いてくると、「んっ、この風は(?)」と思う事がよくあります。どこだったかなあと考えていると、一応それらしい所を思い出すので既視感ではなく本当の既視なのかも知れませんが、同じ風は二度と吹かないとも思います、、、。(2015年春詠)
カテゴリー: 2015
奔放に咲いて散り初む若桜
散歩途中に桜並木の間から見える吉井川の中州に自生した桜の木があります。少し遠く、三年ほど前に見つけた時はほんのりとピンク色になった小さな木で、もしかしたら桜かなあと思ったぐらいでしたが、昨年はどうやら桜のようと思えるぐらい、そして今年はやっぱり桜だと確信できるように育ちました。手前の桜並木はもう三十年を越した木ばかりで、ここ数年は色ももう一つですが、この中州の若木は花色も鮮やかで、枝も元気そうです。しかし、残念な事に中州なのです。大きな出水があれば流されてしまうでしょう。だから余計に一年が経ってこの花を見ることが嬉しいのかも知れません。来年も見えますように、、、。(2015年春詠)
遮断機や椿木蓮雪柳
プールへの道の途中に踏切があります。その傍に司法書士の看板の出た大きなお家があります。庭には四季おりおりの花が咲きます。普段でも一旦停止の度に見て通ります。遮断機が下りているともう少しゆっくりと見ます。それで、とりあえずこの日に眼に入った花を並べてみました。遮断機の向うには釣具屋さんがあります、、、。(2015年春詠)
能舞台春の落葉の二三枚
掲句は阿智神社の能舞台、たいてい中央に何か飾られていますが、この時は何も無く代わりに春の落葉が何枚か、、、。我が家の庭も春の落葉がはげしいのです。大きくなりすぎたクロガネモチが今を盛と散っています。隣家の庭にまで落ちるのが困ったものですが、何も言われないのを良いことにそのままにしています。でも、心の中ではいつも申し訳なく思っているのです。この際ごめんなさい、、、。(2015年春詠)
囀や鳥語解らずとも楽し
ええかげんなもので、解りたいと言っては一句作り、解らずともと言ってはまた一句、、、。(2015年春詠)
一吹きに川面染めゆく落花かな
西川緑道公園での句をもう一句。どちらかと言うと咲き始めより満開を過ぎて散って行く桜を見るほうが好きです。掲句のような、風のひと吹きで川面を染めて行く景も好きですし、ひっきりなしに散り続く景を眺めているのも好きです。どちらにしろ短い期間ですね。また一年、、、。(2015年春詠)
陸橋の高みに春の風あふれ
掲句、西川緑道公園の万町跨線橋東にある大きな陸橋での句です。田舎で暮らしていると、普段に陸橋を渡るなんて事はまずありません。だから結構新鮮で、天気が良ければしばらくは信号に従って整然と流れて行く車を眺めたり、風に吹かれたりします。あまり長く見ていると変な老人と見られそうですが、、、。(2015年春詠)
花筏速し意志あるもののごと
昨日はやっと空が晴れて絶好の花見日和となりました。と思ったらもう雨で水量の増えた用水にひっきり無しの花筏が、、、。掲句は昨年の西川緑道公園での句。西川は水量も豊かで、流れも速い。ひっきりなしに流れてくる花筏を眺めているとついつい時間を忘れ、俳句を詠むのも忘れ、慌てて句会場へ急ぐことになるのです、、、。(2015年春詠)
蜜蜂の羽音切目のなき真昼
我が家の裏の土手は菜の花が満開です。天気の良い日は一日中蜜蜂の羽音がしています。でも肥料をやらないので草丈は去年より全体に小さくなりました。去年は大きくなりすぎて後が大変でした。収穫して油を絞るわけにもいかないし、、、。(2015年春詠)
寄道をさそふ桜の見ゆる寺
昨年の岡山の句会への道中での句。春は桜、秋は銀杏と、ついつい寄道したくなる。きっと長い年月をかけた寺の作戦なのだろう。この際宗旨などはどうでも良い、、、。(2015年春詠)