戦争を知らぬ我等の終戦日

母は時々戦時中の事や岡山の空襲の事を話してくれたが、父からその時代の事を聞いた記憶は無い。終戦当時水島で飛行機を造っていた事も、父からではなく他の家族から聞いた。父が亡くなり初盆の時に、知らない名前の方から盆提灯が届いた。この時に初めて、父が当時の仲間と同期会を作り活動を続けていたこと、その知らない名前の方がその中のお一人だという事を母が話してくれた。子供の頃の記憶では、父に限らず、周囲の大人はあまり戦争について話したがらなかったような気がする。まだ戦後の色濃き時代だった、、、。(2015年秋詠)

露草の僅かに残す星の色

カレンダーに赤い印があるので見ると、今日は山の日なんですね。昔はなかったなあと思いながら、毎日が休日の身の上には影響ないなあと、、、。先日墓掃除に帰省してきましたが、故郷の山は良いものです。313号線を走って多和山トンネルを抜け、高梁に下っていくと一気に山の雰囲気が変わります。故郷が近づいたことを実感する一瞬です、、、。(2015年秋詠)

盆僧の上がればすぐに鈴鳴らす

昨日は実家の墓掃除に行ってきました。毎年申し訳なく思いながら墓掃除をします。実家は空家なのでお坊さんは来られません。何かの時にお坊さんに聞いたら「お寺のほうで拝んでいますから大丈夫です」との返事で、以後安心しています。掲句は散歩途中に見かけたお坊さん、忙しそうでした、、、。(2015年秋詠)

風吹けばほろりと零れ芋の露

今年は旱続きで、散歩途中の畑の芋の葉も露どころではない風情、色も変わりしおれてきています。一雨欲しい所です。子供の頃は七夕も月遅れでした。ちょうど夏休み、短冊に願い事を書く墨を磨るために朝早くから芋の露を集めに行ったものでした。とうとう上達はしませんでしたが、そうして墨を磨ると習字が上達すると言うことでしたね、、、。(2015年秋詠)

塀越しに見ゆる木槿の五つ六つ

七月になりました。木槿は秋の季語ですが、我が家でももう咲き始めています。掲句は昨年の七月二日、児島の憩いの家にお邪魔した時の句です。句会には早すぎて、ソファーから眺めた庭の塀の向こうに隣家の木槿が咲き始めていました。今年も咲き始めているでしょうね、、、。(2015年夏詠)

ご自由にお取りください花梨の実

倉敷阿智神社の社務所、窓口に各種のパンフレットと共に花梨の実が置いてある。その傍に「ご自由にお取りください」の張り紙が。香りに誘われて一つ頂くことにする。出来るだけ形の良いものをと選ぶが、そこは花梨の実、それぞれに自己主張が強い、、、。掲句は昨年、今年はどうかなと先日の句会の折に覗いてみたら、ありました。今年はもう遅いのか二つだけ、、、。(2014年冬詠)