すみません。こんな風に聞こえない事も無いと思うのですが、法華経と古刹では付き過ぎですね、、、。(2015年夏詠)
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月夜とも朝とも遠く青葉木菟
窓の明るさに目覚めると遠くからかすかに青葉木菟の声が聞こえている。ということは月夜の明るさ?それとももう朝?まあいいか、しばらくは青葉木菟の声を聞いていよう、と思っているうちにまた眠ってしまう、、、。(2015年夏詠)
薫風や老人群れて声高し
これは田舎の公園、ではない田舎の道端での句。あまり人の事は言えないが、歳を取るとどうしても聴力が落ちてくる。反対にそれにしたがって喋る声が大きくなっていくようだ、、、。(2015年夏詠)
公園は街のポケット夏の花
岡山の市街地を歩いていると小さな公園がたくさんある。小さくてもベンチもあればトイレもある。四季折々の花が咲いている。これはありがたい。ちょっと休んで俳句帖を広げていても何の不自然もない。田舎には公園はいらないぐらい自然はあるけれど、トイレはない、、、。(2015年夏詠)
草の丈のぼりて毛虫空さぐる
よく見かける茶色の小さなタワシのような毛虫、調べてみるとシロヒトリという名の蛾の幼虫で、ギシギシやスカンポの葉を食べるらしい。という事は人間には実害が無いということになる。今まで何となく毛嫌いして踏みつけたりしていたがこれからは逃がしてやろうと思う、、、。(2015年夏詠)
桜桃に羽音ひそかや朝の雨
数日前の朝から鳥の声が賑やかで、もしやサクランボが、と出てみると案の定色づいている。食べてみるとまだ酸味が強く、色も薄い。もう数日晴天が続けばほどよく熟れて、甘さも増すのだが、昨日は雨になった。さらに数日は天気が悪い。このタイミングで雨に遇うと、実が水分を含みすぎて弾けた状態になり味が落ちる。なるほど、鳥はそれが分かっていて早めに来だしたのか、と雨が降ってから気づいた、、、。掲句は昨年。昨年はタイミングよく熟れて、鳥より先に十分に頂いた。その後で雨になり、掲句となった。鳥とのバトルは毎年の事、良い年もあれば悪い年もある、、、。(2015年夏詠)
息ついて坂見上ぐれば新樹光
阿智神社の石段はさすがに一気には上れない。坂道を鳥居のところまで上り、足を止めて石段を見上げる。覚悟を決めて上り始めるがどうしても途中で息が切れてくる。足を止めて、後どれくらいと見上げればまだ半分ほど、さらに見上げれば新樹光、励まされるように残りを上る、、、。(2015年春詠)
花は葉に烏子育忙しく
母の日です。親孝行したい時には親は無し、まさにその通りですね。後悔先に立たずです。烏は今子育ての最中です。新緑の間から見える大雑把な作りの巣からはお尻が丸見えです、、、。(2015年春詠)
黄菖蒲や岸辺に昼の風生まれ
もうだいぶ昔になりますが、吉井川に大きな出水があって、河原が一面まるで新しい土地のようになったことがあります。それからいろいろな植物が生え始め、やがて次第にその種類も量も変わって今の河原となったのですが、最近は黄菖蒲がずいぶんと増えました。まるでちょっとした黄菖蒲園のようになっています、、、。(2015年夏詠)
風に耳遊ばせてゐる五月かな
心地よい風が吹いてくる。途切れることなくヒュルヒュルヒュルヒュルと耳元で音がする。こんな風ばかりなら良いけれど、、、。(2015年夏詠)