夏です。子供の頃は夏になると川に釣りに行くのが日課でした。竿は自分で作ったごんぼう竿、餌はミミズか青虫が定番でした。竿や餌を買うようになったのは中学生になってからですが、それでも今のようなルアーなんて物は有りませんでした。今の子供たちは持っている道具からして違います。もちろん竹の竿なんか使う子はいません。釣果はと言えば、それはまた別の次元のことのようですが、、、。(2015年夏詠)
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山の上に雲立ち上がり五月来る
五月です。今年は既に夏のよう、、、。(2015年春詠)
敗れたる球児に来たり夏休
高校野球も終わりました。県大会の予選から甲子園の決勝までは実に長いですね。掲句は昨年の、まだ県大会の途中だった頃、とある高校のグラウンドの外を通りかかった時の句です。県予選で負け、新チームが始動していた頃、三年生のここで引退した球児たちに、初めての長い夏休みが来た頃でした、、、。(2014年夏詠)
捕虫網つかめぬトンボ入りにけり
西川緑道公園を歩いていて、若いお母さんと捕虫網を持った女の子に出会った。女の子は小学校低学年ぐらいで、大きめの捕虫網を持て余し気味だった。その時はそのまま通り過ぎ、しばらくしてまた通りかかると、捕虫網で地面を押さえて二人で何やら相談している。見ると網の中にはトンボが一匹動いている。「二人とも虫が掴めないんですゥ。それで、どうやって虫籠に入れようかと思って、、、」、トンボの掴みかただけ伝授して別れましたが、さてその後どうなったでしょうか、、、。(2014年夏詠)
落蝉の声出せばまた生き返り
これも西川緑道公園での句です、、、。蝉は死んでいると思って触ると、突然動き出して驚くことがありますね。それも、いかにもひどい目に合わされているような声を出して、、、。(2014年秋詠)
上り切る蝉の高さの歩道橋
長い人生の中で日常的に歩道橋を渡る暮しはしたことが無かったのですが、今は岡山の句会へ行く度にやむを得ず歩道橋を渡ります。隣にある公園のポプラの、ちょうど蝉が鳴いている高さになります。歩道橋の中央で、下を走る車の群を見るのも面白いですが、これも長い間見ていると、ちょっと勘違いされそうな気がしますね、、、。(2014年秋詠)
墓石の梵字棲家の青蛙
掲句は昨年の墓掃除、梵字のところにちょうどすっぽりと入って心地よさそうな目をしていた青蛙です。水をかけても動こうとしない。さしあたり親父の額のあたり、、、。(2014年秋詠)
晩夏今顔にシャワーを痛いほど
なんだかんだ言っているうちに今日で夏も終わりです、、、。プールのシャワールームに、開放された屋外プールのほうから、ス~ッと風が入ってくるのがこの頃です。何とも涼しい晩夏を感じる風です。川で泳いでいた子供の頃に、ちょっと遅くなって日暮れが近くなった時に感じていたのと同じ風です、、、。(2014年夏詠)
夕日濃し赤きトマトの透けるほど
ダム湖の展望台で、足元のはるか下に見える湖面を見ながら句作をしていたら、後からお年よりに声をかけられた。「ちょっとお話させてください」「はい」と返事をすると、自分がその近くで生まれ育ったこと、16歳で近くの発電所に就職したらすぐに広島に行かされ、爆心地から1.6kmの所で被爆したこと、その後材木商の仕事をして、このダム建設に携わったこと、いろいろ在ったがここに来て山を見ると生きていて良かったと思うこと、を、一気に話された。最後に「私はもう年寄ですが、見ればあなたはまだお若い。人生はこれからです。しっかりがんばってくださいよ。お邪魔しました」と言い残し、シルバーマークを二つも付けた軽自動車で帰って行かれた、、、。その時はその方が被爆者で、初めて被爆体験を直接お聞きしたことで頭がいっぱいでしたが、後で考えると、これって俳句仲間から時々聞く、例の勘違いだったのかも知れない、、、。今日は原爆忌、七十年の平和をもう一度考えてみたい。黙祷、、、。(2014年夏詠)
潦きりきり回る水澄
雨の後に出来た河原の水溜りに、どういう訳かアメンボやミズスマシが居ることがあります。どちらも昆虫で羽根があるから、そういう意味では不思議は無いのですが、でもすぐに消えてしまう水溜りに、どういう理由でやって来るのか、そういう意味ではずいぶん不思議な気がします、、、。こんな事を考えるのは、ようするに暇なんです、、、。(2014年夏詠)