吉備中央町本宮山円城寺での句です。道の駅「かもがわ円城」から反対側に少し入ったところにあります。715年開基とありますからずいぶん古いお寺です。岸田吟香が志を立てて初めて東京へ出る前に立ち寄って書いたという落書きがあります。岸田吟香はご存じなくても岸田劉生の麗子像ならご存知でしょう。岸田劉生の父上が岸田吟香です。余談ですが、吟香は美咲町の「たまごかけごはん」の創始者だそうです、、、。(2011年秋詠)
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老犬に田の畦狭し曼珠沙華
老化は足からと散歩に連れ出した老犬、視力は以前から衰えていたが、とうとう狭い畦道で足を踏み外すようになってしまい、もう散歩は無理だなと判断した頃の句です。あれから三年、また夏を越して曼珠沙華の季節を迎えることができました。他の犬たちからも別格と見られているようで、勝手気ままな老後を過ごしています、、、。我家の敬老日風景、、、。(2010年秋詠)
どれもみな笑顔の地蔵曼珠沙華
昨日登場の道の駅近くに円城ふるさと村があり、本宮山円城寺があります。その山門脇のお地蔵様です。道の駅と同じで、平日には人影もなく、ゆっくりと時が流れています、、、。母のところへ呼び出されることが増えていましたが、まだ亡くなるなんて思いもせず、平日なのを良いことに寄道をしては吟行をしていました。あれから二年、早いものです、、、。(2011年秋詠)
少年のことごとく打つ曼珠沙華
初心の頃の作。徒歩通勤の途中の畦道に咲いていた彼岸花が、ある朝ことごとく折られその場に散乱していた。少年の頃の自分も同じようなことをした記憶がある。すっと立った彼岸花は折れやすく、折れると少し苦いような匂いがした。少年のストレス解消には絶好の材料だった。大人からは毒があるから触るなと言われ、墓地に多く咲く花に、けっして良いイメージなど持てなかった。そんな彼岸花を美しく思えるようになったのは俳句を始めてからのことだ。(1998年秋詠)