猫はそれぞれ特等席を持っており、十分に晩秋の日差を楽しんでいる。そんな猫のような気分で、、、。さて、「ボスの命は短くて」、また一匹のボス猫が世を去った。正確に覚えている訳ではないが、一年ほど前だったろうか、首輪の鈴を鳴らしながら颯爽と登場した茶色の若い猫、すぐに頭角を現してボスに治まった。飼われるのが嫌で逃げてきたのか、やがて首輪の鈴も取れ毛並も薄汚れて来たが、風格は増すばかり、じろりとこちらを睨んでは、尻尾をピンと立てたまま、塀の上をゆっくりと歩いていくのだった。それが大怪我をして隣の玄関前で動けなくなっていたのが一週間ほど前のこと、隣の空いていた犬小屋で様子を見ていたが、水も飲まず餌も食べず、四日ほどで亡くなってしまった。猫はボスになると行動範囲も広がり、仕事も増える。勢力争いによる怪我とも輪禍とも分らないが、なんとも短いボスの座であったことだろう。そして、新たな二匹の、次のボスの座を賭けてだろう、我が家の夜の庭には争う声が聞こえている、、、。(2009年秋詠)
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店員の語尾長かりし秋暑し
今年はいつまで暑いのでしょう。10月9日の句会での当日句です。前夜通り過ぎた台風24号の余波で朝から暑い日でした。Tシャツ一枚で歩いても汗が出てきました。暑くても食べる物は食べないと、と入った食堂での句です。エアコンの風が気持ちよかった。たちまち汗は引いて、A定食をしっかり頂きました、、、。ほんとうはそんなに長くはなかったのですが、狭い店じゅうに響くお姉さんの甘ったるい声に、ついこんな句を詠んでしまいました。ごめんなさい、、、。(2013年秋詠)
深秋の日差爆ぜをる豆畑
日差の溢れている豆畑で、時折パチ、パチと音がするのは、熟れて収穫時を迎えた豆の鞘が乾いて弾ける音なんだろう。そろそろ収穫しないと豆が落ちてしまうのではないかと、素人考えでいらぬ心配もしてみる、、、。(2011年秋詠)
出来立ての鰯雲ある今朝の窓
夕景の空を覆い尽す鰯雲も良いが、爽やかに目覚めた朝の窓に見つけた出来立てのような小じんまりとした鰯雲もまた良い、、、。県北はこれから次第に霧の朝が増えてくる。霧の朝にはもちろん鰯雲は無い。朝の日差もまた貴重になってくる、、、。(2011年秋詠)
宍道湖に伯耆富士浮き秋澄めり
こちらは宍道湖の秋、町内会でバスを仕立てて数年に一度の親睦旅行に行ったときの句。出雲大社に参拝して宍道湖沿いの温泉で宴会、その後どういうコースだったろう(?)帰りのバスの窓から見た宍道湖はすでに夕景に近かったように記憶している、、、。(2001年秋詠)
秋澄むや句会の窓にビートルズ
当時は時々奉還町のリブラで句会があった。リブラは一階が小さなギャラリー二階から上に句会の出来るような部屋があった。ギャラリーの前が広場になっており、その横に二階へ通じる階段が伸びていた。広場には時々弾き語りをする若い女性の姿があった。ちょうど句会が始まる頃から歌い始め、句会の間中歌声は続いたが、その声は時には句会を忘れて聞きほれるほど良く通る美しい声だった。掲句のビートルズがどの曲だったかは忘れたが、その声だけは記憶に残った。今はこの日曜日の句会は無くなり、あの歌声を聞くことも無くなったが、きっと今もどこかで歌っているのだろうと、奉還町の句会へ行くたびに思う、、、。(2009年秋詠)
柿の木のあること言へず柿もらふ
我家の柿の木は、長い間ほったらかしにしていたからでしょう、刺されるとひどい目に遭う毛虫が増えて来ました。そこで、去年のシーズンオフに思い切って大掛かりな剪定をしました。今年は生らなくても仕方ないと思っていたのですが、それでも富有柿のほうには少し実がついています。西条柿のほうは一つだけ、、、。掲句、生り年の柿を、「有ります」、の一言が言えずレジ袋でいただいた時の句、、、。(2009年秋詠)
秋燕や峠に小さき道の駅
何度か書いた国道429号線の峠にある道の駅「かもがわ円城」です。今はあちこちに道の駅がありますが、岡山県下で最初に出来た道の駅がこの「かもがわ円城」とのことです。山の中の小さな道の駅です、、、。(2012年秋詠)
深秋と思ふ箒の音にさへ
秋が深まると、次第に音が消えて行く、というようなことは無いのだが、何となく静けさを増した夕暮に、遠くから箒の音が聞こえてくる、、、。(2012年秋詠)
穂芒の陰れば銀の色失せて
ずっと昔は田圃だったが、建設会社の土地になったらしく、造成されて一時は建築資材が置かれたりしていた。そのうち土が搬入されるようになり、いつの間にか小高い丘のようになってしまった。それもほったらかしで、いろいろな草が見られるようになった。草にも入れ替わりがあり、一時は月見草であったり背高泡立草だったりしたが、ここ二三年は薄が勢力を伸ばしてきた。今年は大分薄原らしくなってきた。ずいぶん広い土地なので、これが薄に覆われたら壮観だろうなあ、と楽しみにしているのは私一人だろう、、、。(2012年秋詠)