倉敷美観地区の大鯉、川の大鯉だとこうは行かない。浅瀬に身を並べ水中の藻などをつついているが、人影を察知するとスルスルと素早く沖へ移動して行く。その代わり川の大鯉は時たま見事なジャンプを見せてくれる。空中の虫でも捕ろうとするのだろう、失敗して連続三回ジャンプなんてこともある。美観地区の大鯉が跳ねるのは見たことがない、、、。(2014年秋詠)
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刈田行く足の短き日本猫
昔は猫だって足が短かった。それは仕方ないだろう、昔の猫はご飯に味噌汁、運がよければ煮干ぐらいの餌で生活していたのだから。今は野良猫だってキャットフードや缶詰と言った良い物を貰って食べている。魚は食べないとか、煮干の頭だけ残す野良猫なんてのも居るようだ。おまけに外来種との混血が進んだからだろう、足も長くなった。シャムネコ風、アメリカンショートヘア風なんて野良猫が闊歩している。刈田の株の間を短い足を精一杯上げて、一歩ずつ越えてくる三毛猫なんて、滅多に見られるものではない、、、。(2014年秋詠)
ほつれより夕日零るる秋簾
二階に西向きの窓があり、年中簾を垂らしている。そろそろ日差が強くなる春先に取り替えると、たいていは次の春先まで持つが、さすがに何度も台風に曝されてこの季節になると傷みが目に付くようになってくる。築三十年、いろいろな簾を使ってみたが、結局持ちに値段による差はほとんど無く、品物の当たり外れによる差のほうが大きいように思う、、、。(2014年秋詠)
籾殻を焼いて三夜のうす煙
昨年は長い間籾殻のまま田圃に積まれていたが、今年はもう火が入っている。その様子はちょうどいくつもの山が連なり、その中央に煙を吐く阿蘇山がある九州を模型にしたようだと毎年思う。火が入った最初の日はその火口部分から煙が上がり、その周囲から次第に黒く炭化していく。すべて焼けるまでには一週間ぐらいはかかり、その頃には最初の火口あたりは白く灰となっている。その白から黒へ変り、裾野にまだ焼けていない籾殻がある景色は、さしずめ春先の山焼きが終わったばかりの草千里と言ったところ、、、。(2014年秋詠)
露座売の一人本読む秋の昼
平日の午前中ともなると、美観地区と言えども人通りはそう多くは無い。店は広げたものの、立ち止まる人の無いアクセサリー売りの露店、若い店主店は文庫本を広げて読みふけっていた。ここにも読書の秋、、、。(2014年秋詠)
柿一つ落ちて夜来の風の跡
昨年の台風一過の朝の景、どの台風だったかまでは記憶に無いが、落ちた柿が一つだったのは、風が弱かったのでは無く、生っている柿が少なかったから。何となくホッとした記憶がある。今年は台風も多く、落ちた柿も多かったが、もとから多く生っていたので残っている柿はいまだに多い。多すぎて個々の大きさが小さい。まだ食べるまで熟れていないが、きっと味はもう一つだろうと思う。大失敗、、、。(2014年秋詠)
一筆で雲の掃かれて天高し
十月です。今年もあと三ヶ月、早いものですね、、、。(2014年秋詠)
露の玉光るソーラー発電所
去年はあちこちにソーラー発電所が出来たが、今年は少し勢いが落ちたような気がする。掲句は昨年出来たソーラー発電所、そもそもソーラーパネルが並んでいる様子は自然の景にそぐわない気がして好きではないが、この時ばかりは早朝のパネル一面が露に覆われ、しっとりとした表情を見せながら光っていた。さてそれから一年、もともと草原だった所に出来たこのソーラー発電所、周囲のフェンスは蔦に覆われ元のように目立たなくなっている、、、。(2014年秋詠)
佳き事のありて吉き日の良き月夜
一昨日日が十五夜で、昨日が満月、おまけにスーパームーンで、いつもより大きく見えると言う事でしたがどうだったでしょうか?そう思って見れば確かに大きいような気もしますが、空の真ん中に上ってしまえば周囲に比較するものがないので分かりませんでした。ヘッダーは昨日の月、掲句は昨年の月、、、。(2014年秋詠)
稲穂波ゆれて稔を深めけり
田圃の揺れる稲穂を見ていると、たぶんこうして適度な風に揺れることが稲穂の隅々まで風を通すことになり、それがよい収穫に繋がるのだろうと、素人考えですが思うのです。県北はだいぶ稲刈が進みました。今年はどうだったのでしょう?日照時間は例年より少なかったような気がしますが、これも素人考えです、、、。ヘッダーの写真は一週間前の棚田百選<大垪和の棚田(オオハガノタナダ)>です、、、。(2014年秋詠)