茶箪笥の裏を棲家のつづれさせ

田舎の実家は手斧で削った柱が使われているような古い農家だったので、虫という虫は出入り自由だった。秋の夜にはコオロギやらスイッチョやらが突然鳴きだすことは珍しくなかった。今の住いは築三十年を越えたが、さすがに昔の家とは違って建付けも良いので、そういうことの頻度は少ない。少ないが年に何回かは家の中で突然鳴きだす虫がいる。声がすれば捕まえて外に出してやるのだが、時々部屋の隅で干からびていることがあるのが哀れ、、、。(2014年秋詠)

きちきちの塀に当たりて引き返す

街中の路地、羽音に「あ、こんなところに精霊バッタが」と思う間もなく、飛んでいったバッタは行き止まりのレンガ塀にぶつかった。そして、そのまま落ちるのかと思ったら、偶然か、瞬間に向きを変えてこちらへ戻って来た。見えない訳ではないだろうに、虫はどうしてぶつかるまで飛んで行くのだろう?雨戸を何度も何度も打つコガネムシもそう、、、。(2014年秋詠)

秋時雨山湖に影を走らする

倉敷の句会へ国道429号線を通って行くと、旭川ダムのほとりをしばらく走ることになる。ダム湖には四季折々の表情があり良い句材なのだが、なにせ運転中なのでじっくりと見てという訳にはいかない。瞬間的に眼に入った景を脳みそに焼き付けておき、ちょっと広い場所に車を止めて俳句帖に書き留めるような事を繰り返す。たぶん脳みその老化防止には役立っているのではないかと思う。掲句はそんな中の一句、、、。(2014年秋詠)

屋根裏にまだある暑さ秋彼岸

あると便利だろうと造ってもらった屋根裏の小部屋、梁が丸見えで板一枚をはさんで屋根という構造は、真夏には地獄の暑さとなる。少々濡れた物でもすぐに乾くし、たぶんダニ退治も出来るだろうと、使わない布団類はここに上げて置く。暑さ寒さも彼岸まで、そろそろ次の布団をと上がったら、相変わらず暑かった。真夏ほどではなかったが、、、。(2011年秋詠)

秋蝶と見えゴーヤーの残り花

衰えたゴーヤの垣の、風に揺れる残り花の黄色が、ちょうどちょっと寂しい秋の蝶のように見えて、思わず立ち止まった時の句です。今年もゴーヤはたくさん頂きました。ゴーヤチャンプルも美味しいですが、かき揚にしても美味しいですね、、、。ホントは苦手、、、。(2014年秋詠)

おもろうてやがて寂しき敬老日

言わずと知れた芭蕉のおもしろうてやがて悲しき鵜舟哉から頂いた句です、、、。敬老の日(?)まだまだ先の事です、と本人は思っているのですが、若い人から見れば私もただの年寄なのでしょう、すぐにこんな日が、、、。我が町内でもかつては敬老の日にお年寄りにプレゼントを贈っていましたが財政難で、何回か対象年齢を引き上げたりプレゼントの額を下げたりした末に、お年寄りのほうから声が上がり止める選択をしました。それだけ町内の高齢化が進んだということですが、私も含めて以後も進行中、、、。(2014年秋詠)

小鳥来る庭に大きな実のなる木

庭にある大きな実のなる木はクロガネモチ、手入れをしないものだから、大きくなって隣家の庭にまではみ出している。落葉はあるし、時々枯枝も落ちている。申し訳ないと思いつつ、ご好意に甘えている。先日珍しい声がするので見たらコゲラが二羽遊んでいた。コゲラが巣をかけてくれると楽しいが、コゲラが来るということは、もしかしたら木が弱っていて、虫が多いのかも知れない。となると、突然大きな枯枝が落ちてくるような事がないとも言えないなあ、、、。(2014年秋詠)

秋燕の集ひて旅へ羽慣らす

今年の天候はどうもおかしい。これでは燕も旅立ちを迷うのではないかと思っていたが、気づけば燕もずいぶん数が減っている。先日も朝の電線に多くの燕が止まり、周囲をこれまた多くの燕が舞っている姿があった。その電線を前夜の宿にした旅の途中の一団なのだろう。長旅ご苦労様、無事に南の島に着くことを祈るのみ、、、。(2014年秋詠)