こんもりと生えた小さな林の上に、伸びるだけ伸びた形で重機の腕と爪が静止して覗いていた。上方に開いた爪は、まるで空を掴もうとしているかのようだった。たまたま休憩時間だったのか、工事の音は無く、真っ青な空を背景に動かない重機の爪は、絵の中の一部品のようだった。いつもは威圧的に見える重機の爪が、この時ばかりは風景の中に溶け込んでいた、、、。(2014年秋詠)
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コスモスや門に下がりし木のクルス
国道429号線を走っていると、門柱に木の十字架がかけられている家がある。走りながら見るので、最初は見間違いかなと思ったのだが、気になって通る度に見てしまう。何でもない最近の普通の家、十字架は木製のよう、紐のようなもので吊るしてある。と、少しずつ情報を増やしているが、その何よりも、門の周囲の一面のコスモスがきれい、、、。(2014年秋詠)
彼岸花咲けども暗し屋敷跡
近くにある神社の隅に石碑がある。それには、その碑を建てた人の家がかつてはこの地にあり、幼少の頃には朝夕に神社の明かりを見て勉学に勤しんだ事が、七語調の詩として切々と詠われている。その石碑のある場所の後には、何本もの大きな杉の木があり、その間には竹まで生えて、人の入れない鬱蒼とした藪になっている。たぶんそこが屋敷跡なのだろうと思うのだが、その面影は全く無く、単なる想像に過ぎないのかも知れない、、、。(2014年秋詠)
赤青のカヌーの干され水の秋
電話に気をとられたお婆さんが桃太郎の桃を拾い損ねるという携帯電話のCMが流れて奥津渓を訪れる人が増えたそうです。とすると、今年の秋は人が多いだろうなあ、なんて考えています。掲句はその手前、奥津湖(ダム湖)に併設の施設水の郷での句です。小高い位置からダム湖が見渡せます。ダム湖に下りる遊歩道もあり、数年前からカヌーを見るようになりました。干されたカヌーのカラフルな色が、周囲の秋を映したダム湖によく合います、、、。(2014年秋詠)
秋草と話して老婆ゆくりなし
近所のお婆さん、ご主人を亡くされ、娘さんを亡くされ、少しずつ老いが進んでいる。掲句は昨年の秋、今年はこれに笑い声が混じるようになった、、、。(2014年秋詠)
蔓のもの皆立ち上がり秋野かな
特に葛、あの勢いはなんだ!と思ってしまう。数本が捩れあって、あたかも一本の茎のようになって、何も支えのないところにも立ち上がる。在れば在ったで、元の植物を覆いつくしてしまう。困ったものです、、、。(2014年秋詠)
金風や高き脚立に腰を据ゑ
高い脚立の一番上に腰を下ろして、少しだけいつもと違う高さの風景を眺めていると、吹く風はまさに金風、先人は上手いことを言うものだと思う。家の三方向を生垣にしている。当然その手入は私の仕事で、それほど広い訳ではないが、少しずつやっていると一年がかりになってしまう。暑ければ休む、寒ければ休む、雨の後は濡れるから休む、と休みばかりで、結局一年がかりになってしまう。「上手いもんじゃなあ、プロになれるで」なんて冗談を言う人もあるが、こんなに時間をかけていてはプロにはなれない、、、。(2014年秋詠)
すれ違ふ雲の早さも野分かな
すみません、晴れの国岡山のノー天気な句です、、、。台風も今は天気予報で逐一細かい情報を知ることが出来ますが、昔の人はどうだったのでしょう?ずいぶん怖かったでしょうね。全く得体が知れないものがジワジワと近づいて来るのだから、、、。(2014年秋詠)
仲良しの烏ととんび秋の声
このページの中には表示していないのですが、ブログを訪れていただいた方々の国別の数が分かるような機能があります。途中から取り入れた機能ですが、それを見ると、上位から日本、アメリカ、中国、ドイツの順になります。ところが、取り入れた当時に「なんで?」と思ったのが日本とアメリカの人数にほとんど差が無かったことでした。いまだに分かりませんが、やっと日本の方の数がアメリカの方の数の倍になりました。掲句とは全く関係ありません、、、。(2014年秋詠)
秋霖や教師たばこを咥へ立つ
いつも吟行に行く公園の東屋は、道を隔てた所に正門がある某高校の、教師の喫煙場所になっている。校内に喫煙場所が無いのだろう、正門を出て東屋に来ては一服して帰っていく。多い時には三人ほどでしゃべりながら一服している姿がある。個人のモラルの問題なのでとやかくは言わないが、今時いいのかな?とは思う、、、。それはともかく、せっかくなので、一句に使わせてもらいました、、、。(2014年秋詠)