寄れば去る都会育ちの蜻蛉かな

西川緑道公園での句。人間との距離感は危険度によって違ってくるのだろう。場所によっても違うし、たぶん時代によっても変わってきたのだろうと思う。蜻蛉が子供の絶好の狩の対象だった時代に比べるとずいぶん油断しているように見える。と思って手を出すと、やっぱりひらりと飛び立って、また一回りして元の場所に戻ってくるのだが、、、。(2015年秋詠)

玄関を訪へば鈴虫朗々と

所用で訪ねた近所のお宅、声をかけたが返事がない。帰ろうかと思いながら玄関の引戸に手をかけるとするすると開いて、開いた途端に下駄箱の上の大きな虫かごから鈴虫の声が聞こえて来た。それも賑やかに。もう一度、今度は鈴虫に負けないように大きな声をすると、奥のほうで返事があった。やれやれと思いながら、出てこられるまでしばしの鈴虫観察を、、、。(2015年秋詠)

ひつそりと秋の日の入る四畳半

いつの間にか太陽の角度が変わり、部屋の中に日差が入るようになっている。秋が暑いのはどうもこのせいではないかとさえ思えてきて、カーテンを閉めてみたりするが、やっぱり暑い。とは言え、もう少し我慢すれば、この日差が恋しくてたまらない季節が来るのだ、、、。(2015年秋詠)

野分後雲の混ぜられゐたりけり

今年は台風が来ないのかと思っていたら、次から次によく来ますね。先日の10号で被害があった岩泉、懐かしい感じがして記憶をたどって行ったら、学生時代に確かに行ったことがある場所でした。駅前の旅館に泊まり、次の日の朝、バスで龍泉洞という近くの鍾乳洞へ行きました。その旅館、相部屋になったのですが、お互いに無口で、とうとう一晩、一言も話をしませんでした。今思えばおかしな話ですが、思い出すきっかけが水害の報道だったのは残念なことです、、、。(2014年秋詠)

電気柵囲ふ一村落し水

八月も今日で終わりです。この時季になると毎年ニュース映像が流れるのですが、近くの棚田ではもう稲刈りが始まったようです、、、。私が子供の頃の猪垣は木や竹で出来ていました。それがトタン板に代わり、今は電気柵です。電気柵になって山里の風景はずいぶん変わりました。トタン板の頃はなんだか人間のほうが囲われているような感じがして嫌でしたが、電気柵になってずいぶん解放感があります。人間と動物がうまく住み分けられるのが理想ではありますが、、、。(2015年秋詠)